★年末の花が年始の花に――ロウバイ

 ロウバイ
   連日の快晴にロウバイが輝いて見えます。

陽の光を浴びて半透明で黄色い花びらはまるで作り物、ロウ細工のような気さえします。
近くによれば上品な花の香が漂います。
新年最初の美しい花です。

江戸時代初期に中国から渡来したそうで、蝋梅という中国名を日本式に発音して「ロウバイ」
和名は唐梅 カラウメ だけど、この花をカラウメと呼ぶ人は聞いたことがありません。

立春を前にした今の時期が1年で一番寒く、立春2月4日が二十四節気では春の始まり。
旧暦は新月から始まるので、今年の旧暦1月元旦、春節は2月16日。
つまり、ロウバイは春節の前、今の時期、旧暦の12月に咲く花です。

旧暦の12月の別名が師走 シワス であることは良く知られていますが、臘月(ろうげつ)ともいいます。
ロウゲツは歳時記でも寒の時期の語句です。
ロウゲツに咲く梅のような花だからロウバイというのでしょう。

調べてみると、
臘は合の意味で、新旧がつなぎあわされる時として、天地、神霊、祖先をいっしょに「合祭」する「臘祭」と称された古代の行事があった――とありました。

新旧が接続する大事な日が12月と1月だという考え方は、1月の英語名 January に通じます。
January はローマの「戸」の神様 Janus ヤ-ヌス に由来し、戸の内と外を見守る神様で、内と外の二つの顔を持っています。
外敵に向ける顔は厳しく、内側の家族に向ける顔は優しい。

ヤヌスはまた過ぎた年月を見つめ、来るべき日々を見つめているので1月の神様にふさわしい。
ヤヌス神殿というのがローマにあり、その戸が閉じられている時は平和で、開かれると、つまり軍馬が出撃すると戦時だと言われます。

今年のセンター試験の世界史の第1問は、ヤヌス神殿の戸が開きっぱなしになるのはいつかと問うような設問がありました。
今の受験生は気の毒だなと思いました。
ヤヌス神殿の知識が受験生や高校生に必要だと思って出題されたのでしょうか。

出題者の意図を忖度すれば、ヤヌス神殿など知らなくとも、ローマが常に戦争をしていた時代を答えればよいわけですが、ひねりすぎのいやらしい設問だと思いました。

まぁそれはともかく、日本にもヤヌス神殿があるとすれば、その戸を開きたがっているのがアベッチで、庶民は必死になってその「戸」を閉じようとしている構図でしょうか。

戸の神様ヤヌスは首相の方をじっと見つめ、庶民の側をも見つめています。
けっきょく戸を開くか閉じるか、人間が決めることです。
2018年は憲法9条がどうなるか、ヤヌスはじっと過去と未来を見つめていることでしょう。
そして人間のあれこれに構わず、ロウバイは今年もきれいな花を咲かせました。



 

★早すぎます、フキノトウ

 フキノトウ 蕗味噌
   庭のフキノトウが6個ほど顔を出し, 蕗ユズ味噌(右)でいただいました。

雨が全然降らないとか、寒すぎるとか、このところ異常気象が当たり前になってきました。
ご近所の農家さんは白菜の葉が巻かないと嘆いていました。

いすみ市を昨年は二度通過した台風で、灯台への山道の河津桜はすっかり季節感が乱れてしまい、今頃3~4分咲きになっている樹もあります。
庭のフキノトウもいつもより、ずっと早く顔を出しました。

早すぎるから、小さい個体です。
もう少し太く、大きくなるかと思っていたら、そのまま花を咲かせそうなのであわてて採集しました。
鍋の沸騰した湯に塩を少々で、2~3分湯がいて下茹でして刻んでみると、茶色く傷んだ部分がありました。
たぶん霜焼けだと思います。そこは除いて刻み、蕗ユズ味噌にしてみました。
なに、ユズ味噌に混ぜるだけの話です。

お酒と味醂を熱してアルコール分を飛ばし、味噌と少々の砂糖を加えて良く練って、刻んだユズの皮を入れればユズ味噌の完成。
そこへ刻んだ蕗を混ぜて早春の味、蕗ユズ味噌の完成です。

まだ季節は小寒。大寒が20日から、そして節分を過ぎれば暦の上では春です。
小寒の蕗ユズ味噌よりも、もう少し春めいてからかの蕗ユズ味噌の方が元気なフキノトウが採れるので味も良くなります。
小寒の蕗ユズ味噌だからねぇ、味はイマイチだ、なんてぜいたくな文句を言いながら正月の残りのお餅を頂きました。



★七草かゆ?いいえ、鯵のお茶漬けです。

お茶漬け
   鯵の干物、干しエビ、鶏肉、三つ葉、白ごま、塩昆布

正月七日は七草粥だそうで、スーパーには七草セットが山積みになっています。
でも、正月はさほど食べ過ぎたわけでもなく、今年はパス。

昔ながらの行事を新暦で行うには無理があります。
だって、1月7日は旧暦だと、まだ11月21日。師走にさえなっていません。
滋養たっぷりの野草の新芽を使った料理はまたの機会にして
 
正月の残りものを使ってお茶漬けにしてみました。
カツオ節と昆布の出汁を十分に使い、味付けは醤油少々、わさび少々。
あゝ、おいしい。
日本は食材と調理法に恵まれた国だとつくづく思います。

さて今日は7日ですから、正月飾りをはずしました。
玄関飾りは昨年末、産直店で地元の手作り飾りを見つけたので購入しました。
市販品とはずいぶん違います。

厳寒飾り

一文字のワラに五束のワラが下がっています。
これを地元では鳥居型といいますが、むしろシデ型と言った方が正確でしょう。
シデとはしめ縄から垂れ下がったヒラヒラのことです。
そこにウラジロとユズリハが飾られていました。

ウラジロは正直・腹黒くないことで、家康の兜飾りにちなんだものでしょう。
ユズリハは、2枚セットの葉になって生え、常緑で、親の葉がまだ緑のうちに若葉が生えるので、
親子安泰の象徴でしょうか。
ある年代以上の方にとってユズリハは正月に不可欠な品のようです。
今年初めて玄関飾りにしました。
なんか、いすみ市の住民らしくて良い感じでした。


 

★初詣巡り――いすみ市の出雲大社

出雲大社
    国吉神社境内に立派な出雲大社がある

国吉神社境内が見違えるほどキレイサッパリに環境整備されたのに伴い、今までちょっと見過ごされてきた出雲大社も大変目立つようになりました。

それにしても、なんで出雲大社がいすみ市にあるの?
その疑問に答える以下のような看板が新設されていました。(改行、筆者)

幕末の作田村に斧嶽(ふがく)と号する人並みすぐれた怪力と才知の持ち主がおり、その怪力ぶりは米俵二俵を背負い、両手に一俵ずつさげて持ち、口に一俵をくわえて持ち歩いたと伝えられる程でありました。
長州征伐の際、幕府軍の目付役となった村の領主は、強力無双の斧嶽を従者に選び、一行が島根県の出雲大社へと到着した際、折しも大祭の奉納相撲が催されており、斧嶽はその相撲に加わり無敵の強さを示し、出雲大社の千家宮司は斧嶽を見込んで神璽(みしるし)を授けまつらせました。
故郷に帰った斧嶽は仮殿を設け篤く信仰し、その後、信者は日増しに増え、ついには諏訪神社(現在の国吉神社)の隣に明治二十四年に神殿を完成させ翌年には盛大な遷宮式が行われました。
 

文中、不祥な語句を調べてみました。

作田村――今は中川町の一部になっている。
米俵――60kgだから、背中に120kg背負い、左右の手に60kgずつ。口に60kg。計300kg。
    オリンピック超金メダル級のとんでもない怪物が地元にいたもんだ。
長州征伐――1866年の第二次長州征伐。石州口は長州の圧倒的勝利に終わる。
村の領主――大多喜藩主大河内正質だと思う。当時、幕府の若年寄。
        戦後処理で長州に向かう途中での大社参拝か。
        1868年の鳥羽伏見の戦いでは幕府軍総責任者。
千家宮司――第79代千家尊澄(センゲタカスミ)。千家・北島両家が出雲国造。大社の行事を仕切る。
      両家はあまり仲良くないようだ。
      80代千家尊福は明治5年、出雲大社教設立。一方、北島家は出雲教設立。
      いすみ市の出雲大社には「上総教会」との表記がある。

幕末からの尊王攘夷運動で、伊勢のアマテラスばかりが脚光を浴びると、オオクニヌシを祭る出雲大社は危機感を抱きました。
現世のことはアマテラス、あの世のことはオオクニヌシ。二柱の神は同格だと主張しましたが、国家神道ではアマテラスを最高位としてしまいました。

文明開化で日本の伝統が打ち捨てられることにも危機感を抱き、積極的に国民の中に布教し始めました。
いすみ市の諏訪神社境内に出雲大社が設立されるのは、このような時期です。

諏訪神社の神様は建御名方(タケミナカタ)で大国主の子ども。武神。
今はオオクニヌシと一緒に、親子そろって同じ敷地に鎮座ましましています。

長く複雑な歴史のある出雲大社ですが、今日ではすっかり穏やかになり
境内には 『縁結びの神、福徳の神』 とありました。
一般庶民にとっては、幸せをもたらす神様--だと思います。



★初詣巡り、いすみ市夷隅町苅谷の国吉神社

巫女さん
   ちょうど巫女さんの舞いが行われていました。

近隣の神社の中でも国吉神社は由緒ある神社で、時折、雅楽を伴った舞楽の舞いや近在の神楽囃子によるお神楽が奉納されたりしています。
正月3日のこの日は厄払いの祈祷が行われていました。
かわいい巫女さんでした。

大化の改新で上総国が誕生する前、外房の中央部、夷隅郡や長生郡は出雲系の首長が治める伊甚(いじむ)国でした。
その国府があった場所が苅谷の近くの国府台(こうのだい)ではないか、と言われています。
つまり1400年ぐらい前のいすみの中心地でした。

――伊甚国造は大和の朝廷から伊甚特産の珠を見せろと命令されたのに、期限に遅れ、尋問にかけれそうになると、あわてて皇后の寝所に紛れ込んでしまった。伊甚国造は命乞いのために屯倉(みやけ=御料地)を奉ったと『日本書紀』(安閑記)にあります。

この話が本当にあった話だとすると、伊甚国は陰謀にはめられて領土を召し上げられたような感じがしないでもありません。
その領土没収の勅使を迎えるための仮屋が置かれた場所を、今は苅谷というそうです。

苅谷にある国吉神社は昔は諏訪神社と言って、出雲系の神様(タケミナカタ)を祭っていました。
明治になってから大規模な神社の統廃合が行われ、近在の多くの神々がここにまとめて祭られるようになります。
多くの神々を祭ったことから社名は、国吉という地名にちなんで国吉神社になりました。

どんな神々が祭られているかを下の一覧表にしてみました。興味ある方はご覧ください。
有名無名、ずいぶん様々な神様が村人によって信仰されてきたのだと驚きます。

現代社会では、それぞれの神様の名前を知っている人はほとんどいません。
一括して 「神様、今年もよろしくお願いします」 ですまします。それで良いと思います。

神社裏手には大きなイチョウの古木があり、市の天然記念物に指定されています。
以前はこのギンナンを拾いに来ましたが、最近は近くのイチョウの木で採集しています。
久しぶりに国吉神社を訪れましたら、駐車場が広がり、地には玉砂利が敷き詰められ、清潔なトイレまであって驚きました。

氏子さんから甘酒の接待を受けました。
いすみ鉄道国吉駅の近くでもあり、いすみ鉄道やいすみ市の支援を受けて何とか地元を盛り上げようとする活気を感じた初詣でした。

***ご祭神一覧***

天御中主命(アメノミナカヌシノミコト)
伊邪那岐命(イザナギノミコト)
伊邪那美命(イザナミノミコト)
健速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)
木之花咲耶比売命(コノハナサクヤヒメノミコト)
石凝姥命(イシコリゴメノミコト)
素佐男命(スサノオノミコト)
日本武命(ヤマトタケルノミコト)
月夜見命(ツキヨミノミコト)
建御名方命(タケミナカタノミコト)
大山祇命(オオヤマヅミノミコト)
大山咋命(オオヤクイノミコト)
誉田別命(ホンダワケノミコト)
神皇産霊命(カミムスビノミコト)
高皇産霊命(タカミムスビノミコト)
天底立命(アメソコタチノミコト)
宇麻志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)
水波能売命(ミヅハノメノカミ)
宇気母智命(ウケモチノミコト)
伊豆母姫命(イズボヒメノミコト)
天之狭土神(アメノサヅチノカミ)
天之狭霧神(アメノサギリノカミ)
天之闇戸神(アメノクラトノカミ)
大戸惑子神(オオトマトイコノカミ)
国之狭土神(クニノサヅチノカミ)
国之狭霧神(クニノサギリノカミ)
国之闇戸神(クニノクラトノカミ)
大戸惑女神(オオトマトイメノカミ)