★155km先の富士山

富士山
      赤い夕陽の中に富士山のシルエット

冬は空気が乾燥しますから空がすみ渡り、はるか遠くまでも通せます。
だから冬になると何有荘の庭から富士山が見える時があります。
遠くの山並み、といっても大多喜の山々ですが、それがシルエットになり、山の端が赤く染まる中で、富士山の山頂部がお椀を伏せたようなシルエットで浮かび上がると嬉しくなります。
画像は何有荘前の大正堰まで行って写しました。

乾燥するとは、空気中の水分が少ないということで、それだけ遠くを見るのに障害物が少ないということになります。
また、水分があると空気中の微細なホコリ、チリを吸着しますから、その点でも乾燥すると見通しが良くなります。
冬の星座が夏の星座よりもくっきりと美しく見えるのも同じ理由です。

房総半島を西に進み、内房の木更津まで行くと富士山は正面に偉大な姿を現します。
距離が2倍になると面積は1/4に小さくなってしまいます。
だから内房と比べると外房の富士山はずっと小さく見えます。

ということは内房よりも富士山に近い横浜の方が富士山は大きく見えるはずです。
それで、葛飾北斎の名作『神奈川沖浪裏』はいくらデフォルメされているとはいえ、リアルなのかという不審が生まれます。
   The_Great_Wave_off_Kanagawa[1]

神奈川とは横浜の少し東京寄りの地域名で、東海道の宿があった場所です。
京浜急行の神奈川新町駅がある当たりだと言っていいでしょう
そのあたりの海岸からから富士山を見るのはかなり苦しい。
ランドマークタワーに登ればもちろん見えますが、海岸からは方角が違う。逆方向です。

第二に富士山が小さすぎる。もっと雄大に見えるはずです。

第三に内海である東京湾ではこれほどの大波はたたない。これほどの荒波ならば遭難の危険があるので船頭は船を海に出さないことでしょう。

わたしは心密かに、この浮世絵木版画のリアルなモチーフは外房いすみ市の海で着想を得たのではないかと思っています。
大原漁港や太東漁港から海に出れば、波間の間からちょうど絵のようなサイズの富士山を見ることができます。
そして、この近辺はドカリの波と称される大波が来ます。サーファーたちによく知られた海岸で、2020年のサーファー会場にもなりました。

わたしの少し年上の知人はサーファーで、チューブと呼ばれる大波の中をさっそうとボードに乗って走っている写真を見せてもらったことがあります。
サーファーならば、あの大波の内側を走り抜けてみたいと思うでしょうね。

北斎がいすみ市に来たという文献上の証拠はありません。
しかし、来たかもしれないという傍証はあります。
北斎の『神奈川沖浪裏』を見るたびに、あれはいすみ市の海だよなと思っています。


 
 

★紅葉の養老渓谷へ

小沢又の滝
    幻の滝と自称する、小沢又の滝

なかなか立派な滝で、7~8mの高さから落ち、水量もある。滝壺はエメラルドグリーン。
惜しむらくは、周囲にもう少し紅葉が欲しいけれど、養老渓谷じゃ無理は言えません。

養老渓谷は関東地方で一番遅く紅葉する地域で、11月下旬~12月上旬が見頃です。
もともと房総半島は常緑広葉樹が多く、落葉広葉樹は少ない。
山岳地帯や京都・鎌倉の紅葉の名所とは比べものにはなりませんが、養老渓谷の紅葉は房総半島では珍しいのです。

昨日(11/29)は天気が良かったせいか、多くのお客が来ていました。
中国語が飛び交っています。養老渓谷でもマイナーな名所である小沢又の滝をどうやって知ったのでしょうか。
しっかり赤く染まったモミジもあり、中国からのお客さんたちは笑顔で写真を撮っていました。

場所は老川十字路から東へ2.1km、水月寺の近く。粟又の滝の手前800mです。
東京のある夫婦がこの滝のある景色に感激し、周囲の土地を買い取り、観光客のために木道や階段、観望台などを独力で整備してきたそうです。

つまり私有地。滝への順路に従って茶店前を通過する時に、年配の女性から環境整備のため200円を請求されました。
前を歩いていた男性は、滝を見るのに200円とは驚いたと不満気な雰囲気。
後を歩いていた若い女性は200円も払ったのだから、しっかり見なくちゃと友人たちと大騒ぎ。

滝壺方面に下る木道は湿気でツルツル滑りやすい。単管パイプの手すりを頼りにゆっくりと降ります。
ハイキングの足ごしらえをしていない観光客は途中でギブアップ。
だとすると、滝の一寸見で200円は高い気もするけれど、これだけの施設を自力で作り、行政からの支援を受けていないならば、やむえない気もします。
見る価値のある滝でした。



★サザンカとツバキの話

サザンカツバキ
   左:サザンカ   右:ツバキ

岬町はサザンカの花盛り。
12月になればツバキの花が見事に咲きそろうでしょう。

サザンカを漢字(中国語)で書くと山茶花。これでサザンカと読むのは不可能。
じつは山茶花とは日本でいうツバキ。
ではツバキはというと 茶花。
茶は中国に古代からありましたが、ツバキやサザンカは日本からの輸入品。
ツバキもサザンカも茶の木の仲間ですから、中国人はそう表記したのでしょう。
万葉集の時代では、海石榴、都婆吉などと書いてツバキと読みました。

つまりツバキを椿とは中国人は書かないようです。
中国には「大椿」という想像上の樹木があります。
8000年を春とし、8000年を秋として、人間の3万2000年がその1年にあたる。

冬になっても落葉しないで赤い花を咲かせるツバキ正月を迎えるにはおめでたい花で、木偏に春と書いてツバキとしたという説と大椿の大は大げさすぎるので大を省いたという説があります。

ツバキの学名は カメリア ジャポニカ。Camellia Japonika
サザンカは、カメリア サザンカ。   Camellia sasanqua
そう、どちらも日本原産。

カメリアでツバキ属、ツバキの仲間という意味になります。
幕末、フィリピンにいた宣教師カメルさんが、種を欧州に持ち込んだので、カメルさんにちなんでカメリアと名付けられました。

長崎出島にいたスウェーデン人の医師ツンベルクが帰国に際して4本のツバキを欧州に持ち込み、英国、フランス、ドイツの王家に献上されました。
そのうちの1本が現在でも健在で、樹齢280年と言われています。

ベルリンの南、180km、当時のザクセン王フリードリヒ・アウグスト1世の所有のピルニッツ宮殿にあり、世界遺産の旅かなんかのTV番組で見たことがあります。
立派な大樹で、あたり一面、ツバキの落花でおおわれていました。

日本から来たツバキは当時の欧州で大人気となり、東洋の神秘の花、日本のバラとしてあこがれの対象であったようです。
デュマの小説「椿姫」が生まれ、オペラやバレーでも「椿姫」は大ヒットすることになります。

日本の北斎や広重がヨーロッパ絵画に大きな影響を与えたように、日本からの輸入品、漆器や工芸品も大変な人気で、ジャポニズムという日本趣味、日本ブームが起きます。

ツバキもそんなブームの興隆に一役買ったのだと思うと、ツバキさん、あんたは偉いね と声をかけてやりたくなります。

なお、ツバキとサザンカを見分ける一番の簡易な方法は葉の違いです。
ツバキは丸まっており、サザンカは二つ折になるような感じです。


 
 

★季節の花――イソギク(磯菊)

イソギク

昨日は11月7日。立冬。
この日から2月4日の立春までの3か月間が暦の上では冬となります。
今年は秋らしいすっきり晴れた秋空がなく、いつの間にかもう冬になってしまいました。

冬とはいえ昨日は暖かくて20℃越え。海岸のイソギクは満開でミツバチが集まっていました。
今日は朝から雨。肌寒く、季節の移り変わりを感じます。

いすみ市の海岸では、散歩の途中でところどころ、小型の黄色い花を咲かせているイソギクに出会います。
塊(カタマリ)になった花をよく見ると、筒状の花の集合体で花びらがありません。
海岸地帯ですから風が強く、花びらは退化してしまったのでしょうか。

葉はキク科に特有の形をしています。裏を返すと細毛がびっしりと着き、厚みがあります。
この厚みで冬の海岸の強風と寒さを防いでいるのでしょう。
その細毛が表側にはみ出て、葉の周囲を白く縁どっているように見えるのもイソギクの特徴です。

イソギクは磯に咲く菊だからイソギク。
なんとも単純な名前ですが、磯なら日本中どこでも咲くというわけではなく、学者先生の言うことには千葉県銚子から静岡県にかけての海岸に自生するというローカルな品種らしい。

花のさびしい冬にかけて豪華に咲くので、園芸品種も売り出されているようで、庭植えや鉢植えで育てている家も見かけます。

何有荘でも一部を掘り起こして庭に咲かせようかと思ったこともありますが、なんとなく花泥棒のような気がします。
何よりもその株を掘り起こしたら、そこからその株は消えてしまいます。
散歩の途中の楽しみが減るじゃないですか。
野草はそこに咲いているからこそ、値千金なのだと思います。


 

★季節の花――お茶の花

お茶の花
   豪華なメシベに対し、白い花弁はあまりはっきりしない

キンモクセイの花が終わるころ、近辺ではお茶の白い花を見かけるようになります。
農家では昔、茶の木を生垣にして利用していたようで、そんな生垣に咲いていますが、直径が3cm前後で小さく、しかもうつむき加減に咲くので目立ちません。

それが茶の木だと発見し、八十八夜の新茶積み頃、その農家さんを訪ねて新茶葉を摘んでよいかと、図図しくお願いに行ったことがあります。
快諾され、熱心に摘んで、手もみ茶作成にチャレンジしたことがありますが、それは大変な作業でした。
お茶の単価が高いのも納得です

お茶の木はネットで調べると学名がCamellia sinensis。中国のツバキ。ツバキ科ツバキ属の常緑樹であり、その葉も花も同族であるサザンカやツバキに似ています。
サザンカよりも一足早く咲き、茶の花が咲くと冬が近くなったと実感します。

ところで茶は英語で tea ティーですが、英語初心者らしく無理やり読むと テイアと読めなくもありません。これはおそらく、茶 チャをヨーロッパ人がそう聞こえてそう綴ったものが、各国語の発音でそう変化したものでしょう。

中国茶は南部の厦門(アモイ)から出荷された茶がテーに近い発音で、北部北京近くの発音がチャに近い発音だったといいます。
それで世界各地の茶の綴りと発音は大まかに別けて、te系統と cha系統に分けることができます。
韓国、日本はcha系統で、インドのチャイもこの系統でしょう。
フランス語はラテン語系統ですから thé でテ。te系統だといえます。
いずれにせよ、茶が語源。なまって世界各地に広がった単語です。

最も当時のことですから、船便で熱帯地帯を通り抜けてヨーロッパにたどり着いた茶葉はすでに発酵してしまい、もったいないから、そのまま売り出したら「紅茶」としてたいそうな人気商品になったとウソだかホントだかわからない話が伝わっています。
それで欧米各国では茶と言えば紅茶のことで、日本茶はわざわざグリ-ンティー、緑茶としなければならないようです。

日本に茶が伝わったのは平安時代末期、禅僧の眠気覚ましや、薬草として伝えられました。
中国で喫茶の風習が始まったのはかなり古く、三国志のヒーロー劉備玄徳がまだ無名で貧しかった頃、年老いた母のために恐ろしく高価な茶というものを飲ませてあげたいと願ったことが記述されています。

そんな由緒ある茶の木が日本では一般農家の生垣にまで普及し、やがて誰もそれがお茶の木だと分からなくなるまで放置されているのは残念なことです。
八十八夜の新葉の頃、もう少し簡単な葉の利用法を考えてみたいと思っています。