★玉崎神社の和犬型狛犬の謎 


  こんなかわいい狛犬は見たことがない

いすみ市岬町中原の玉崎神社の狛犬は通常の唐獅子型ではなく、和犬型です。
耳が垂れ、尻尾をクルリと巻いて愛嬌があり、参詣に来る人はみんな驚き、そして微笑みます。
こんな狛犬でもいいのでしょうかねぇ。

狛犬の“狛”は古代朝鮮の“高句麗”のことですが、高句麗とは直接関係なく“外国の”ぐらいの意味ですから、“狛犬”は“外国の犬”ということになります。
麒麟や龍と同じく、中国伝来の想像上の動物です。
そのまた由来をたずねればペルシャに行きつきますが、その話は長くなるのでカット。

寺社の参道に位置し、外部から侵入する敵を威嚇して神様仏様を守る役目を負っています。
由緒あるお寺の仁王様と同じですね。
仁王様と同じく、向かって右が口を開けた阿形(アギョウ)、左は閉じた吽形(ウンギョウ)。
一対の狛犬と言いますが、正確には右側の阿形が獅子、左の吽形が狛犬。
二種類の想像上の動物で守護しています。(狛犬の頭は一本の角が生えている場合も多い。)
ところがそんな区別は面倒なので、姿かたちは左右とも巻き毛の(唐)獅子がア・ウンの姿で向き合っている姿が普及し、どちらも唐獅子なのに狛犬と言うのだから結構いい加減です。

いずれにせよ外敵退散を本来の使命とする狛犬が、画像のように人なつっこい顔でかわいらしく、人待ち顔で並んでいて良いのかという疑問は残ります。番犬の役目を果たせるのか?

この疑問を解く鍵は狛犬が神社に奉納された「寛政十三年」にありそうです。
1801年のことですから江戸庶民の活力がみなぎっていた頃、飢饉などにも襲われ、寛政の改革という庶民弾圧の時代でもあります。諸外国が鎖国の扉をたたき始めていました。
成田山新勝寺が江戸庶民から絶大な信頼を得ていた時期と重なり、その成田山には「寛政十年」に和犬型の狛犬が奉納されています。
  成田山の狛犬 画像元→● 

和風の狛犬だっていいじゃないか、という江戸庶民の心意気、あるいはシャレでしょう。
おそらく実在した優秀な番犬がモデルになったと思います。
その斬新なアイデアが庶民の間で大評判となり、三年後の寛政十三年、いすみ市でも新し物好きな庶民がお金を出し合い、最新型の、成田山・和犬型の狛犬を玉崎神社に奉納した、のではないかと勝手に想像しています。

成田山信仰圏では他にも和犬型の狛犬が見かけられますから、この時代の流行だったのでしょう。

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