★太東・大原沖の海底地図を読む 


 A:太東岬   B:大原の八幡岬

この近辺の海底は複雑だとは聞いていましたが想像以上です。
海の中に山あり谷あり、海底地図を見て驚きました。

太東岬はかつて8kmほど沖合にまで伸びており、そこに沖原村があったが元禄地震で壊滅し、生き残った人々が内陸の荻原村に移った――と伝えられています。
この伝承は検討するといくつもの疑問点が出てきますが、「かつて太東岬ははるか沖合にまで伸びていた」という事実は海底地図から確認することができます。

海底地図から推計すると8kmどころか30~40kmも伸びていたことが判ります。
太平洋の荒波と黒潮の圧力によって古太東岬は崩され、さらに大がかりな地盤沈下があったことになります。
氷河時代は海水面が低下していましたから、30~40km先まで陸地だったのはたぶん、その時代の話でしょう。当時の海岸線は水深45~50mに沈んでいます。

やがて氷河時代が終わり、1万年前、「縄文海進」の時代には海の水が増えて現在のいすみ市の平野部はすべて海水に満たされた湾であったと推定されます。
この湾が川が運ぶ土砂で埋まり、しだいに現在の平野になりました。
太東岬の崩壊は現在も続いており、旧太東灯台はすでに海の中。現在の展望地もひびが入り一部立ち入り禁止となっています。

この展望地から太平洋を見渡すと、海の底には古代の陸地だった岩礁がずっと先の方まで続いているのだと海底地図は教えてくれます。

大原の八幡岬も同様です。
子どものころ遊んだ八幡岬は今はずいぶん海に削られて小さくなってしまった、とはそこに住む漁師さんの話です。
八幡岬沖数十kmまで岩礁地帯が続いているのは、はるか昔にはそこが陸地であり、崩壊して今は「根」が残っているだけだということが判ります。

太東沖、八幡沖の「根」は海の底にあります。
その「根」周辺は今は海藻のカジメ林となり、イセエビ、アワビ、タコなどが多数棲みつき、絶好の漁場となっています。
明治になって素潜りではなく、空気を器械でおくりこむ潜水夫によって収穫が行われるようになるとここの「根」は「器械根」と呼ばれるようになり今日に至ります。

太東沖の「根」と八幡沖の「根」との間には、海底地図をよく見ると単調で等間隔な等高線が並んでいることに気づきます。現在の和泉浦・日在浦がそのまま沖合まで続いているようにも見えます。

なぜここだけ「根」がなく、単調な海底なのか?
その理由は太東岬脇を通る夷隅川、八幡岬脇を通る塩田川が古代は一本の川(古夷隅川)となって太平洋に注いでいたと仮定すると了解できます。
古夷隅川が山を浸食し、北側が古太東岬、南側が古八幡岬になっていたと想定するわけです。
単調な海底は古夷隅川の河川敷だった場所に土砂が堆積したのです。

現在では古太東岬も古八幡岬も崩壊して海底に沈み、その「根」だけが海中にあります。
そういう壮大なドラマを1枚の海底地図から読み取ることができます。

そしてこの先、将来を想像すれば
太東岬も八幡岬も崩壊を続けてやがて海の底になることでしょう。
3・11以後、GPSによる調査で日本列島の地殻変動の調査がまとまりました。
大原で5cmの沈下、九十九里浜で11cmの沈下となっております。

せめて私たちが生きている間だけでも地球におとなしくしていてもらいたい。
ところが江戸時代は数十年間隔で津波が押し寄せていますから、心して生きて行く覚悟と備えが必要のようです。
            海底地図は「夷隅郡市自然を守る会」からお借りしました。

 

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