★川回しの風景(6)平沢川 

  
  左画像=右地形図①から見た水田
  右地形図 ②は240mのトンネル水路 紫色は推定旧河道
         ③は川回しで生まれた「内梨滝」(画像は一番下)

夷隅(イスミ)川の支流・平沢川にも多くの川回し跡地を見ることができます。
川回しとは房総特有の単語で、川の流路を人工的に付け替えることで、旧河川敷を耕地として利用します。
①から見た旧河川敷(河道)は水田として今でも利用されており、すっかり稲刈りされてきれいになっておりました。
減反政策のせいで生産力の低い水田はどんどん放置されている昨今、今でも水田として利用されている姿を見るのはうれしいことです。
トンネルを掘った村のご先祖様も喜んでいることでしょう。

②の破線は240mの川回しトンネルで中を平沢川が流れています。
入口・出口を確認したかったのですがヤブがひどく急斜面、単独行動では装備が不完全なのであきらめました。
川回しは江戸時代末と伝えられています。このトンネルもそうだとすればスゴイ。
重機のない時代に人力だけで掘り進んだのですから。
それだけの苦労をしてまでも稲作耕地を広げたいと山間部の住民は願ったのでした。
お米の価値がものすごく貴重だった時代の話です。

北朝鮮の建国者・金日成将軍は「国民がみんな白米を食べられる国にする」というスローガンで民衆の支持を得ました。
日本でも年配の方は「ピカピカの白米ご飯が最高だ」と言います。
わたしたちが「黒米ご飯は健康に良い」とアピールしても、「何が悲しくてそんなご飯を食べねばならないのか」と言い返されてしまいます。

戦後の困窮時代に「貧乏人は麦を食え」と言った首相がいました。
お米(白米)が貴重だった時代はそんな昔の話ではないのです。
それがたった30年でお米(白米)の価値は下落してしまいました。

川回しの風景は今では自然の風景の一部と化し、昔の人がどんなに苦労したかを偲ぶには難しいものがあります。
それでも①の風景を見れば、かつて川だった場所を利用したのだと一目瞭然です。

  内梨滝

地形図③の「内梨滝」はそう簡単には見に行けない場所にあり、画像のようにトンネルから大量の川水が流れ出ています。
この川水はさらに上流の平沢ダムから流れ出ています。平沢ダムなどなかったずっと昔から、ここは人が人の手だけで掘り進んだトンネルがありました。

まったく自然の姿に溶け込んでおり、ここがもし東京の奥多摩や神奈川の丹沢であったならば観光名所にもなったでしょうが千葉県ですからね。ハイカーさえもめったに訪れません。
前回、田代滝の大蛇伝説を紹介しました。その大蛇は一時期この内梨滝にも潜んでいたと伝えられています。そんな雰囲気が漂う滝で、ここで足を滑らして転倒して頭でも打ったら誰にも発見されずオシマイだなぁと思いました。
人は妖蛇に魅せられて殺されたのだとウワサすることでしょう。

                    (5)大蛇伝説 に戻る→●

 

関連記事
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント