★晩晴堂帰雲師をご存知でしたら 


   太東埼灯台にある師の顕彰碑

太東崎灯台の高台に北の方向を向いて師の顕彰碑が建っています。
表に「晩晴堂帰雲翁碑」とあり、
裏に辞世の句が彫られています。
変体仮名の草書体なので解読に自信がありませんが

    ぬ禮色や 水引草に さす朝日  帰雲
 
と読んでみました。「禮」は「礼」の旧字体で「れ」と読みます。
―――朝露に濡れた水引草に朝日がさしてキラキラと輝いている。―――

水引草が秋の季語。
小さな赤い花が細い軸に連なり、まるで水引のような花が咲き出すのは8月。
旧暦の秋はおおざっぱに言えば1カ月遅れだから、現在の8~10月になります。

昼間は暑くとも朝晩は放射冷却によって冷え込み、野の草はたっぷりと朝露をたくわえています。そこに朝日がさせば雑草同然の水引草だって光り輝く。
わたしの人生は大輪の花を咲かせることなく、せいぜい野山の水引草並みであったが、こうやってすがすがしい朝日を見ると、水引草だって宝石のように輝いているじゃないか。
わたしのささやかな人生が光り輝いているように見え、もう何も思い残すことはない――
こんな風に読み解いてみました。(まったく見当違いかもしれませんが)

この碑が建てられたのは昭和32(1957)年。建てた人物は裏面に彫られた5名。
1名はいすみ市榎沢の人、4名は一の宮町綱田の人。いずれも俳号のみで氏名は分かりませんが門弟に決まっています。

碑が朝日が昇る東の太平洋に面せず、北面しているのは何か意味があるのでしょうか。
北には弟子の多くが住む綱田があります。あるいは師の住居があったのでしょうか。
そのために北方を向いているのかもしれません。

この碑について、そして晩晴堂帰雲師について地元ではまったくわからないのです。
碑が建立されてから半世紀がたちましたが、半世紀しかたってないともいえます。
事情を知っている人もまだ存命だと思います。
ところが、わたしがインタビューした人は誰も「知らない」といいます。
県や市の石碑一覧にも載っていません。
碑の存在さえ気づいていない人もいました。

どなたか晩晴堂帰雲師をご存知でしたらご一報いただけないでしょうか。

 

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