★オトメ川、オトメ山、オトメ峠 

 
   大多喜:オトメ川公園

全国にはオトメ川、オトメ山、オトメ峠など“オトメ“と名付けられた地名があります。
オトメを乙女と書くと、何やらうら若き美女の悲劇的な話がありそうです。

箱根の乙女峠は、仙石原のトメという名の女性にちなみます。
父親は病弱で根臥せっていたためオトメさんは峠の地蔵堂に百日参りをし、「わたしの命にかえてもオトッツァンが元気になりますように」と願をかけておりました。
ところが人知れず百日参りをするのは難しいものです。夜な夜な出かけるのは男でもできたのだろうといううわさ話が村中に広がり、病床の父親の耳にも届きました。
ある雪の晩、娘が出かけた後、父親は娘の相手をとっちめるために娘の足跡をたどります。そして地蔵堂の側で倒れている娘を発見しました。娘の足跡は地蔵堂で往復しています。さてはここで密会していたのかと堂守を詰問したところ、「父親の病気回復祈願のお参りに毎晩来ており、今晩が満願の日でさっき帰った」と知らされます
だから最近体調が良くなったのかと悟り、娘を信ぜず「親に隠れていちゃついていた罰だ」と倒れている娘を介抱しなかったことを悔やみました。
娘のもとに取って返した時はすでに遅く、娘は息絶えていました。娘の願掛けは成就してしまったのです。
村人は心無いうわさをしたことを悔やみ、地蔵堂への峠を誰いうとなく「乙女峠」と言うようになりました。

夷隅川は大多喜では「オトメ川」と呼ばれます。どんな話が伝わっているのでしょうか。
残念ながらそのような悲話は伝わっていません。
オトメ川は「御禁止川」と書きます。つまり川漁禁止の川という意味です。
町の広報などによれば、お殿様が参勤交代の際に夷隅川の鯉を将軍に献上するためにここを禁漁にしたそうです。「むらさき鯉」を檜のたらいに入れて生きたまま江戸に運んで献上したそうです。

しかしわたしはこれは庶民を納得させるための表向きの理由であって、オトメ川の真の目的は防衛上の理由だと睨んでいます。
夷隅川は外堀として城防衛の重要な施設です。攻城側としては夷隅川を突破しなければ城に迫れません。夷隅川のどこが一番渡りやすい場所か、浅いか深いか、それを川に入って実地に調べることを「瀬踏みする」といいます。
実際、三口橋付近は干天時には渡りやすい場所になると考えられます。
敵側のスパイが漁師に紛れて瀬踏みすることを避けるために一律に入漁禁止としたものでしょう。
「将軍様に献上するから川釣りは禁止」という口実を考えた人物は初代城主・本田忠勝かどうか記録はありませんが、なかなかの策士です。人の良い大多喜の人々はずっとそれを信じてきたのですから。

さて「オトメ山」ですが、これは東京新宿区に、「区立おとめ山公園」があります。
本来は「御留山」であり、将軍家の鷹狩場だったために一般人立ち入り禁止となっていました。

オトメ川、オトメ山が立ち入り禁止を意味するとすれば、オトメ峠も立ち入り禁止の峠の意味だと解するのが妥当でしょう。
奈良時代から東海道は御殿場→乙女峠→湯坂道→湯本コースが本道でした。
江戸幕府が箱根八里を切り開き京・大阪への最短コースを設定すると、この乙女峠コースは廃道となり、「御留峠」となります。
とは言っても昔からの道ですから関所破りに使われ、数々の捕縛者もあったようです。

乙女峠のオトメさんの話は、そのような厳重な立ち入り禁止地区の地蔵堂にお参りするという緊迫感がありませんから、どうも後世の創作民話のような気がします。

オトメ川、オトメ山、オトメ峠どれも乙女とは無関係で、立ち入り禁止を意味する「御留め」が真相だったという味もそっけもない結論でごめんなさい。

  

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