★太東埼に咲くシモツケ

  

いつもの散歩コース、灯台への道に咲いているシモツケ。
特に絶滅危惧種というわけではありませんが、野生種をみかけることはトンとありません。

尾瀬に行くときはポケット図鑑を片手に歩きます。コース全体が植物公園みたいに次から次へと野生の花が現れ、やはり尾瀬はすばらしい。
そんな尾瀬で覚えた花の一つが画像のシモツケ(下野)で、箱根の湿生花園にもありました。
現代社会では特別な場所に行かないと、そう簡単には出会えない花になっています。
そのシモツケが灯台までのプロムナードに数か所ですが咲いています。
だから灯台コースの散歩は毎回楽しみなのです。

画像のように小さな花の集合体で、まるで花火のように美しい。
シモツケは漢字で書けば下野。現在の栃木県のことですが、県の花はヤシオツツジ。
シモツケが栃木県に特に多く、栃木を代表する花というわけではなさそうです。
すると栃木県で最初に発見されたから、ということになるのでしょうか。

大変良く似た花にシモツケソウがあります。
区別をする点は葉の形で、モミジ葉みたいならシモツケソウ。画像のようにノコギリ歯の紡錘形ならばシモツケです。

シモツケの中国名は 繍線菊(シュクセンギク)。
俳句の世界では、繍線菊と書いてシモツケと読む場合が多い。

   繍線菊や あの世へ詫びに ゆくつもり    古舘曹人(フルタチ ソウジン)

曹人が詫びねばならぬ相手は先立った妻だとか。可憐な花に亡き妻の笑顔が重なって見えたのでしょう。

中国名の由来となった伝説を『花々のよもやま話』より引用します。

“ 昔、中国に繍線(シュクセン)という少女があった。彼女の父の元琦という人が、軍に従って勇敢に戦っているうち、敵に捕えられて獄に投ぜられた。繍線はこれを知って悲嘆にたえず、ついに心を決して男装し、単身敵地に踏み入り、辛酸の末2年目に獄吏になることができた。男装の少女は父を救うため獄舎を捜したが、この時すでに元琦は病没していたのであった。
繍線は悲しみやる方なく、死囚の墓に詣でて涙をしぼっていた。これを見ていた人々は、少女を可哀想に思い、扶け起こして故郷に帰るよう慰めた。少女は父の墓標を去るとき、記念として墓の傍らに咲いていた一輪の花を持ち帰った。その花を父への手向けにと、庭に植えていたところ、4、5年後になると見なれぬ美しい花が咲き出たので、人々はその花に孝心深い少女の名をとって、繍線菊(シュクセンギク)と名づけた。 “
                  

 

関連記事
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント