★川下側から見た桑田の潮止堰 

 
  落差2m。幅50mの滝。右岸(向かって左)が魚道

いすみ市岬町桑田に潮止堰という小さなダムがあります。
夷隅川河口から約6km。県道153号の桑田信号の500mほど手前、東電の「電柱資材置き場」横の大多喜寄りの草薮の中を、まるで探検隊気分で降りていくと出会えます。
名前の通り、太平洋の海水が夷隅川にそって内陸に侵入することを防ぐ目的で1974(昭和47)年に完成しました。

日本中どの川も満潮時には海水が川の下流部に入り込んでいます。
わたしが慣れ親しんだ神奈川県の多摩川も鶴見川も満潮時には川の流れが川下から川上に向かっており、子どもながらにおかしなことだと思っていました。
そのような塩気交じりの川の水は田畑に利用できません。
それで多摩川水域の農民たちははるか上流から用水を引いて問題を解決してきました。玉川用水といいます。

夷隅川下流域では中山間部から用水を引いてくるという条件が地形的にありません。
大雨になるとどっと川の水が増水して洪水となり、雨が降らぬ日が続けば、千葉県第2の大河とよばれる夷隅川も下流に来れば簡単に干上がってしまいます。
画像では、潮止堰全体から水が豊かに流れ落ちて白いカーテンのように見えます。手前の下流域も広い水面となっています。
ところが半年前に見に行ったときは渇水期で、魚道からわずかに川の水が流れ落ちる程度で下流域は川床が丸見えでした。

こんな渇水時期に大潮だと海水は川に沿って容易に内陸部になだれ込み、河口から14kmの国吉近辺まで海水の害を受けたと伝えられています。
岬町は夷隅川下流部にあり、昔から海水の侵入による塩害に苦しんできたのでした。

海水が川に流入しないように川をせき止めれば良いのですが、そう容易な事業ではありません。
それをやってのけた人物が大高玉治郎氏で、彼の業績は以前アップしました。→●

玉治郎の事業は夷隅川の支流域をバメという関門を設けることで新田開発に貢献しました。しかし、夷隅川本流に対しては誰も手が付けられず、桑田に潮止堰ができたのは先に述べた通り1974年まで待たねばなりませんでした。
この潮止堰のおかげでこれより上流部は塩害を回避できるようになりました。長年の農民の苦労が県政を動かして完成したものです。

しかし潮止堰ができたために川の流れが妨げられたのではないかという危惧が上流部の万木・国吉地区の住民にはあります。2007年の台風での記録的豪雨の時は洪水となり救援ボートが出る騒ぎとなりました。
千葉県は精密測量の結果、桑田潮止堰の影響は考えられないと結論を出しました。
堰があってもなくても氾濫した。原因は川幅、川の深さにあると千葉県は言っています。

そしてもう一つの塩水問題がありました。実は農業用水の塩分被害は海水だけからではなかったのです。
この地域はヨウドの産出地域であり、天然ガスも噴出します。それに伴い鹹水(カンスイ)という塩分を含んだ水が吹き出し夷隅川になだれ込んでいました。
このカンスイによる塩分濃度を下げるために河川の水を貯めて薄めるという機能も潮止堰は果たしています。

いすみ市の農民は苦労に苦労を重ねて明るい農業生産のために努力を惜しみませんでした。
桑田潮止堰もその農民たちの情熱が行政を動かした結晶です。
その立派な施設が薮の中を通らない限り人目につかず、忘れ去られようとしているのは実に残念なことです。
羽黒トンボが優雅に舞い、セキレイがすばやく飛び抜ける美しい景色です。
それゆえになまじ公開すると子どもの事故などおきたら周囲にだれもいませんからね。行政は困ってしまうでしょう。

それにしてもあまりに静かな景色ので、河童が住むと言われると思わず納得しそうです。

 

関連記事
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント