★玉前神社・白鳥伝説の井戸 

 
  大きな井戸で蛇口が3つあり自由に利用できます

この近辺の車両はすべて「袖ヶ浦」ナンバーです。
「袖ヶ浦」とは、日本武尊が相模国走水(ハシリミズ)から房総へ船で渡る途中、海神の怒りを鎮めるために弟橘(オトタチバナ)姫が海中に身を投じ、嵐はおさまったという有名な伝説があり、数日後、姫の着物の袖が流れ着いたその海岸が「袖ヶ浦」です。
ミコトは妻が忘れられず、木更津の丘で海を見わたし「あぁわが妻よ」と嘆いた場所に木更津吾妻(アヅマ)神社があります。
ただし、この伝説と全くうり二つの伝説が神奈川県にあります。平塚~二宮海岸は「袖が浜」で、二宮に吾妻山があり、山の中腹には吾妻神社があります。
そこが伝説の伝説たるゆえんで、伝説は伝説。史実とは違います。

上総国一宮である玉前(タマサキ)神社の日本武尊の【白鳥の井戸】伝説を紹介します。
“日本武尊は困難な東征を果たして都へ帰る途中、岐阜・滋賀県境の伊吹山で神の怒りを買い、あえなく最期を遂げた。そして一羽の白鳥と化して弟橘姫の亡くなったこの上総の地へ飛来しました。
玉前神社の近くには流れ着いた姫の櫛を姫に見立てて葬った古墳があります。おそらく姫の形見の品に姫を偲んで飛来したのでしょう。現在の茂原市本納にある橘樹(タチバナ)神社で、玉前神社の十二社に属しています。
玉前神社の上空を白鳥が舞っていたとき、一枚の羽が落ち、神社の井戸へ吸い込まれていきました。
この井戸は太東岬付近にあった湖と地下でつながっているから、決して涸れることがないという自慢の大井戸です。
そのとき突然、その太東岬の湖に一羽の白鳥が現れ、神社上空を舞っていた白鳥を呼ぶのです。これを知った白鳥はすぐその湖に飛んでいき、湖上の白鳥としばらく仲むつまじく泳いでいました。
やがて日が沈みかけると一羽の白鳥は西の空へと飛んでいったのでした。
村の人々は残った白鳥が弟橘姫、去った白鳥は日本武尊に違いないと信じました。
またそれ以来、玉前神社の井戸は「白鳥の井」と呼ばれるようになりました。“

太東岬付近に湖などありませんが、千数百年前ならば夷隅川が作った広大な湖沼や潟が存在した可能性は大であり、不自然な話ではありません。
千葉県には昔、白鳥やトキ、コウノトリがたくさんいたことは文献等で確かめられます。

昨年(2011)の2月に興味ある記事が新聞にのりました。
千葉県佐倉市の遺跡から8世紀後半のものと見られる骨壺が発掘され、中から30~40代の男性の火葬された骨とともに、同じく焼かれた白鳥の骨の一部が出てきました。
日本武尊の白鳥伝説は「美しい創作物語」であるにしても、当時、“勇者が死ぬと魂は白鳥の姿になって飛ぶ”という信仰があったことが裏付けられる貴重な発見でした。

なお、玉前神社の例大祭は近くの東浪見(トラミ)海岸で執行されます。ここは前回述べたように砂鉄を多く含んでおります。物語の舞台となった神奈川県平塚~二宮・走水の海岸、千葉県の袖ヶ浦、木更津、太東も砂鉄の海岸です。
日本武尊の東征とは東国を大和の支配下に置く軍事行動で、その進軍コース、あるいは伝説が残っている地区は必ずと言っても良いほど砂鉄の産地であることは注目すべき点で、玉前神社の井戸の水も鉄分を多く含んでいます。

まったくの蛇足:井戸脇左の「白鳥井」の石碑がわたしには「白鳥丼(ドン)」に見えます。
 
 
 

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