★米作りへの情熱――穴堰(アナゼキ) 

 
   手掘りの穴堰の天井から鍾乳石が

アクアラインを越えて千葉県に入ると一面の水田で驚くばかりです。空が広い!が第一印象です。ただこれは現在の姿であって昔からそうであったわけではありません。数百年来の涙ぐましい農民たちの努力の結晶がこの景色です。

先日、「いすみ市環境と文化のさとセンター」主催の小さな旅に参加しました。
穴堰という地下溜池を山田杉ノ谷(ヤツ)にあるH氏の自宅に訪ねます。
H氏宅の前に水田が広がっていますがその先にある山田川(夷隅川の支流)は激しく蛇行し、その水面は水田より数mも下にあるため、川があっても水田に水を引くことができません。この水田の水は穴堰からきているとのことです。

H氏の自宅は北に山を背負い、東西に尾根が末広がりになった中央の谷底低地にあります。山の斜面に降る雨を利用して田畑を切り開いたのでしょう。
宅地の山側には棚田がありましたが今は自然の姿に戻っています。
水稲耕作は特に田植えの頃と出穂の頃に十分な水を必要とします。しかし天水に頼る以上は運任せ。現在ならば多くの地域で川の水をポンプアップして田を潤していますが、昔は日照りの時は口惜しい思いを何度もしたことでしょう。

そこで人々は谷筋に溜池を各地に造成して水不足を補ったのですが、決壊すれば甚大な被害が下流域に起きます。場所の選定は慎重さが必要です。
H氏宅の場合、山の斜面はかなり急ですから溜池は危険です。しかし安定した稲作のためには溜池はぜひとも必要だ。そのジレンマの中での解決策が全国に例を見ない穴堰でした。

穴堰は山腹に掘られ、前室が幅3.8m、深さ1.8m、奥行き2.0m。そこから幅2.2m、高さ1.8m、奥行き16mの横穴となっています。この主洞に二つの支洞が付属しています。
さらに別に第2穴堰、第3穴堰があり、雨水等で満水となり、必要な時に栓が抜かれて水田を潤しました。

この施設は江戸時代末期のもので、当然ながら人力だけで掘り抜かれました。
すごい情熱ですね。米作りに対する農民の不屈の精神がうかがえます。
現場を見るとツルハシやタガネの跡がくっきりと残っており、壁も天井も非常に丁寧に掘り抜かれておりました。
そのような洞穴堰が可能だったのは「上総層群黄和田層」という柔らかい泥岩だったためで、乾けばもろいが湿気ていると頑丈という特徴があるので安定した穴堰を掘り抜けたのだそうです。

田植えが終わり、今の時期だけ穴堰は栓が抜かれてカラになり人が入れます。
画像の鍾乳石が発見されたのは2005年のことでした。穴堰ができてから百数十年の間に少しずつ成長したのでしょう。

しかし鍾乳石は鍾乳洞でできるのが普通で、鍾乳洞は石灰岩質の山を地下水が気の遠くなる年月の中で作り上げるものです。
ところがここは泥岩ですから石灰岩はありません。そこが不思議です。
ここの泥岩の山は実は太古の時代は海底だったわけで、その泥の中に含まれる超微細な生物のカルシューム分が滲み出してできるのだという説明でした。
国指定天然記念物ではありませんが、貴重なものだということは分かります。

いや、勉強になりました。いすみ市って本当にワンダーランドのような世界です。

 
 

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