★大原出身の弁護士歌人、矢代東村(5)

 
  実家近くにある歌碑を案内してくれた地元のYさん

東村は治安維持法に抗したプロレタリア歌人と称されますが、わたしはヒューマニスト、自然派詩人あるいは抒情歌人であると定義した方が適切なような気がします。

彼の繊細な感受性は故郷・夷隅郡大原(現いすみ市)で培われました。
東村(本名:亀廣)が生まれてすぐ両親は離婚し、家族を捨てた父親は東京に行き成功します。
祖父母と母は貧しい暮らしの中で、父無し子である亀廣をかわいがりました。
やがて母は再婚しますが、継父に多少の違和感があったようです。
師範学校入学時に提出した身上書保証人欄には、実父を「知人」、継父を「後見人」と書きました。14歳の東村の複雑な心境を垣間見る思いです。

祖母について二首
  *口ぐせのやうにいはれた言葉。/祖母の言葉。
    /世間の人達に笑はれるなと/いはれた言葉。
    /食ふに困るなと/祖母が自分に教へた言葉。
    /この言葉いつまでも/忘れられず。
  *いかなる苦しき時にも笑顔もちてあれと教えぬるあはれ我が祖母
   
母トクが危篤との電報を受けて帰省した時の作品。
  *私は死ぬことをおそれない。/ただこの苦しみはしたくない。/一人の母が、
   僕を生んだ母が、さういはれる。/その声をきくのは私だ。/その苦しみを
   見るのも私だ。/目の前にこの苦しみを見、/私の心はたまらなくなる。/
   一人をこの世に送るため、/その母はどんなに苦労をすることか。/
   ああその苦労を知り、/その苦労に生きるものは誰か。

出来の良い自慢の息子であった亀廣は、東村と名乗り東京に出たきり故郷で暮らすことはありませんでした。東村は義妹に家を継がせることにします。自分が親不孝者であるという自覚がどんなに東村自身を苦しめたかは想像に難くありません。
それでも故郷の人々は出世頭の東村を暖かく迎え、東村もまた、たまの帰省に心安らいだようで、次の作品は帰省時の心はずむ歌です。

 *裏庭に/音たかだかと/籾摺器/はづむさなかに/我が帰り来し

この歌の歌碑(画像)が実家近く、県道176号沿いの熊野神社境内の公園にあります。
つまり東村の歌碑は日在浦海浜公園とは別にここにもあり、都合二つある訳です。
この場所がわからず、車から降りて地元の人に尋ねたところ、92歳のYさんが案内してくれました。足腰も頭脳も明晰なご老人で、実家の保存は市に予算がなく、すでに人手に渡ってしまったと淡々と語っていらっしゃいました。

さて東村が若い頃の恋愛歌三首。
 *二月の/風の強い街だった。/夜だった。
  /別れて来た手にのこる/うつり香だった。
 *口吸へば/口わずかにあたたかし/はかなかりけり海に来たりて
 *人間のかなしき秘密/ことごとくわれに知らしめし君と別るる

東村は自然描写、生活描写にも優れた作品を数多く残しています。

 *耳をすませばしららしららと/麦の穂は音に出でつつ輝きてゐる
 *一本の/藁屑さへ光る。/冬だから/きびしい。
 *これが雪代水かと/むしろ激流ともいひたい/その音に/ききほれる

 *広いー広いー小麦畑だ。コンバインだ。快走するコンバインだ。空は青いんだ。
 *麦畑だ。/楢の林だ。/高圧線の大鉄塔だ。/六月だ。/野だ。
 *胴体も/羽も/花粉に黄色くなり、開ききった牡丹から/出て来る/蜂。

 *静かに/手繰りよせる投網の/手ごたへは息を/ころして/待つ。
 *親馬に/よりそふ仔馬、折折は/はねまはりながら/何か親しげ。

 *この野菜/君が手で作られ/君が手で獲られ/君に運ばれて/みな輝く
 *妻よ。/お前も勇敢になったな。/その流行おくれのパラソルをさして
  /平気で出てゆく。

 *死ぬものは死にゆき/人等集りて法事終れば/あまき菓子食ふ
 *飛行船が来たと言って騒ぐ。/百年もたってこんなこと話したらどう思うだろう。
 *人生の目的などを本気にて/議論せし頃の懐かしさかな

わたしは次の作品が一番好きです。

 *藤が咲き、/つつじは開き 牡丹かがやく。/季節となれば、/もう止めどなく

大原出身の弁護士歌人、矢代東村(おわり)
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