★いすみ市の昔話-鬼が埼(2) 

 
   天候が急変すると海は危ない

前回に続き、江戸時代の話です。
太東埼沖は黒潮が通り、海面下には多くの岩礁があるので複雑な潮の流れとなり、昔から船の難所として知られていました。
目の前で座礁・難破した船があってもシケている時は救出に船を出すことも出来ません。
ガンバレ・ガンバレと声を限りに叫んでも、みすみす大波に乗員たちが飲み込まれていくのを眺めて地団太を踏むばかりです。
翌日、波がおさまり現場に急行しても行方不明になった船乗りの遺体が上がるとは限りません。
岩礁に挟まれて上がらないのか、それとも黒潮に乗ってはるか沖合に流されてしまったか。
岬の沖合では多くの人々が命を落とし、人々はこの太東埼を恨みを込めて「鬼が埼」と呼びました。

毎年、お盆の頃になると浮かばれなかった人々が亡霊になって現れたそうです。
特に浜に西風が吹き、霧が深い日はどんなに波が静かであっても船を出してはいけない、亡霊が出て海に引きずり込まれるといましめられていました。
しかし若い漁師たちは
「そったら話、迷信だっぺー」
「魚獲るのに盆や正月はかんけーねぇーべや」と出漁してしまいました。

その日は他に船はなく、いつもよりずっと豊漁で、若い漁師たちはご機嫌でした。
「そろそろ暗くなるべ、そったらかえっぺか」と帆を掲げ、帰り支度を始めました。
ところが波は立っているのに風がありません。
仕方がないので櫓(ロ)を漕いで帰ろうとしましたが櫓が異様に重たいのです。
まだ夕暮れには間があるはずなのに周囲は一段と暗くなってきました。
やがて生暖かく、生臭い風が吹いてきました。波は一層激しく舷側に打ち寄せますが船は全く動けません。
やがて周囲は暗闇というか、黒い霧に包まれ視界は全くなくなります。
そして遠くから「モーレンヤッサ、モーレンヤッサ」という掛け声が聞こえてきました。
猟師たちは助け舟だぁと喜びますが、姿が見えません。
モーレンヤッサの声はどんどん近づいて、すぐそこに声が聞こえます。
突然、ひときわ大きな声で「モーレンヤッサ」の掛け声がすると同時に荒れる波間から大きな片手が突き上がり、「柄杓(ヒシャク)貸せーっ、柄杓貸せーっ」という声が聞こえました。

漁師たちは肝をつぶし、腰を抜かして船底にうずくまって何もできないまま頭を抱えてうずくまっていたんだと。
やがてどれだけ時間がたったのか、気がつくと船の帆柱は折れ、獲ったはずの魚は1尾も残っていなかった。空を見上げると晴れ渡り、夕暮れの一番星が輝いていたんだと。

呆然自失。それでもようやく村に漕ぎ帰ると、浜には村人たちがあまりにも帰りが遅いことを心配して浜に集まっていました。
若い漁師たちはその場に倒れ込み、そのまま何日も眠りつづけました。
やがて看病の甲斐があって目覚めると、問われるままに当日の話をポツリポツリと話し始めました。

その話を聞いた村の長老が
「それはモーレンヤッサという船幽霊(フナユウレイ)じゃ。
お前らは腰を抜かして何もできない、何もしないので命拾いしたサ。もしその時に柄杓を渡していれば、柄杓はあっというまに何十、何百と増えてしまい、巨大な手は何十、何百の亡者の手となって柄杓で海水を船の中に汲み入れるのじゃ。お前らの船はあっという間に沈んでいたじゃろうよ。
モーレンヤッサも思えば気の毒な亡者どもじゃ。盆だというのに誰も弔ってくれない。
お前らの船が動かなかったのは亡者どもの手で引き止められていたのじゃ。
お前らを亡者の仲間に引き込もうとしての。
亡者どもは盆の頃になると生きている者をうらやみ、ねたんで出てくるもんじゃ。
だからのぅ、万が一のために船には底が抜けた柄杓を用意しておくのも一つの手なのじゃ。底がない柄杓なら水を汲めぬからのぅ。亡者どももあきらめるしかないのじゃ。
これからはよーく考えて行動し、亡者どもの霊をねんごろに弔うが良かろう」
と、遠い昔を思い出すような目つきでしみじみと語りました。

- - - - - - - - - - - - - - - - - - -
船幽霊の話は全国各地の漁村に、それぞれバリエーションはあるものの伝わっています。
海中から巨大な手が現れるというパターンは外房の勝浦から銚子にかけて広まっており、勝浦も銚子も海面下に無数の岩礁があります。
「モーレンヤッサ」とは「亡霊ヤッサ」と考えられています。「ヤッサ」はエッサ、ホイサ同様の掛け声です。
妖怪の語り手・水木しげる氏によれば「猛霊八惨 モウレイヤッサン」と言いますが、水木氏独特の創作のように思えます。

わたしは子どもの頃、お盆を過ぎたら海水浴は禁止。土用波が来るからと親に言われた記憶があります。
お盆の頃というのは一種独特の雰囲気がありますね。海も山も里も霊的な空間に包まれます。
都会では盆も正月もさらりとしたものになりました。
都会育ちのサーファーは盆も正月もなく太東の海で波乗りを楽しんでいます。
太東埼がかつて「鬼が埼」と呼ばれ、一帯は大勢の命を奪った危険な水域であり、霊的な海域であることを、たまには思い起こすことも身を守るすべとなることでしょう。

                           (来週金曜日につづく)

 

関連記事
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント