★大原出身の弁護士歌人、矢代東村(3) 

  
  1947年、58歳の東村

画像は『法と民主主義』別刷2006年7月より引用。これは「日本民主法律家協会」の機関誌で、2006年に柳沢尚武弁護士が『矢代東村 短歌で治安維持法体制に抵抗した弁護士』を誌上に発表し、忘れられた歌人・矢代東村を再び世に送り出しました。(全文はこちら→●) 

大原海水浴場脇の日在浦海浜公園にある歌碑の矢代東村とはどんな人だったのだろうかと調べて今回が3回目になります。

 *検束。/検束。/また検束だ。しかし思へ。検束しきれないものを
   /みなが持っている。
 *検束するなら/いくらでも検束するがいい。/行列は続く。/
   あとから。/あとから。

大正デモクラシーの時代、1925年(大正14年)、普通選挙法が制定され、金持ちだけではなく貧乏人でも男性は選挙権を得ました。それを恐れた政府は同時に治安維持法を制定します。
「検束」とは警察が逮捕状なしに身柄を拘束して牢屋に入れることを示します。

治安維持法が制定されてから、京都学連事件、3・15事件、4・16事件などで大量の共産党員と支持者が拘束・逮捕され拷問を受けてきました。
昭和4年3月には治安維持法改悪(最高刑を死刑とする)反対を主張し、警察の拷問を国会で告発した山本宣治代議士が右翼により暗殺されました。
上記の作品は山本宣治暗殺直後の昭和4年の第10回メーデーでの様子を描いたものです。

矢代弁護士は拘束され、起訴された人たちの公判で弁護に立ちます。被告人は堂々としていました。何一つやましいことはありませんから。
被告たちの公判での様子です。

 *手錠のまま/ぐいと編笠をつき上げて、/はいるなり、いちいち/元気な挨拶。
 *丹野せつ子は/女の被告だ。/この中での、たった一人の女の被告だ。/
   俺たちの被告だ。
 *どの被告も/みんな確信にみちた顔。/その顔から、ぢかに/胸にくるもの。

しかし昭和8年、『蟹工船』の作者・小林多喜二が警察によって虐殺されます。
逮捕された時点で有罪が決まっているような暗黒裁判ですが、それでも形式上は被告人陳述はあります。
秘密裁判ではないのでマスコミが全国に報道する可能性があります。公安当局は被告人に同情する報道をいっさい禁止していました。
多喜二の場合、もはや形式的な公判すら行われず、当時の刑法でも違法であった拷問で虐殺されました。下手人(特高警察)のただ一人として罪を問われた者はいません。
警察発表は「逮捕時に暴れたので取り押さえたところ、心臓麻痺で死亡した。」
マスコミも自己保身のため、警察発表のまま報道しました。

矢代東村作、文芸誌『詩歌』より
 *「あ、やられた。小林はやられた」と/夕刊を見た瞬間思はず
   /口に出していってしまふ。
 *格闘したから/道へ倒れたから/捕縄をかけたから/
   それで四時間後の「心臓麻痺」が/どうして起こった。

遺体は築地警察署から多喜二の母・セキの居宅(杉並区)に運ばれ、セキは一目見るなり
「ああ痛ましや、痛ましや。心臓麻痺で死んだなんて嘘だでや。子どもの時からあんなに泳ぎが上手でいただべに…。心臓の悪い者にどうしてあんだに泳ぎがでぎるだべが。心臓麻痺なんて嘘だでや。絞殺しただ。警察のやつが絞殺しただ。」と叫んだそうです。

遺体は全身打撲・内出血ではれ上がり、手首や首に縄で絞めあげた条痕、手指の骨折など拷問の跡ははっきりしており、その事実を明らかにすべく大学病院に解剖を依頼しましたが、どの病院も警察を恐れて断ってきました。
真実を明らかにすることが犯罪とみなされた時代の話です。
通夜と告別式に参加した人々も次々に検束されました。
築地小劇場での「労農葬」も検束が相次ぎ取りやめとなってしまいました。

 *告別式の参列者まで総検束。/その中には、ほんの一読者だった/
   花束を持って来た/女性さえ。

この女性は中条ユリ、後の作家・宮本百合子です。
余談ですが百合子もいすみ市に関係があります。昭和20年、いすみ市江場土に静養のために来ていた妹の見舞いに来た時の百合子の歌を紹介しましょう。

 *よしきりの ここだ来(キ)啼ける 河口に かかる木橋は 年古りにけり
 *ひろびろと 夷隅の川の 海に入る 岬のかなたに 虹立ちて居り

昭和16年12月8日。真珠湾攻撃で太平洋戦争突入。翌9日には全国で400名ほどの知識人たちが一斉検挙されて「左翼短歌グループ」もほぼ壊滅します。
翌年、昭和17年には矢代東村(52歳)もシンパ(同調者)として逮捕されました。

6か月後に不起訴で釈放されますが、その間どのような拷問を受けたのでしょうか。
釈放されても「国賊」として社会的評価は地に落ちました。
東村は当時2人の小学生がいましたが、校長は全児童を前にした訓話で、国賊東村を糾弾したと伝えられています。家族の皆がさらし者にされた時代でした。
                                 (つづく)→●                                 (戻る )→●

 

 

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