★いすみ市の高市皇子伝説(3) 

 
    JR外房線 三門の無人駅舎 

いすみ市の三門(ミカド)という地名から連想が始まり、いすみ市にはかつて高市(タケチ)皇子が来たという伝説があります。その伝説を追いかけてみると残念ながら高市本人が来た痕跡を見つけることはできませんでした。当然といえば当然です。
若い高市が国司として上総に赴任してきたと考える人もいるようですが、歴代上総国司の中に高市の名はありませんし、時代も状況もあいません。
一方、内房の各地には天智の息子・大友皇子と妃・十市皇女が逃亡して潜伏したという伝説が数多く残っています。
外房のいすみ市の高市伝説は、内房の大友伝説に対抗して生まれた「創作だ」というのがわたしの当面の結論です。

ただし、火のないところに煙は立たず。
高市の関係者がいすみ市に来たという伝説はありました。前回、前々回で紹介した通り、「小高氏が高市の姫を連れて逃れてきた」という話で、ある程度信憑性のある興味深い伝説でした。
高市皇子の姫とはだれか? 河内女王、山形女王という娘がいたことは知られていますが、この二人についての資料は残念なことにまったくありません。
また、姫が都から逃れてきたのならば、その名は秘せられていたことでしょう。

ところで『岬町史』には東小高神社について
“正歴2年(991年)、十代の孫眞人朝臣(マヒトノアソミ)成忠、その祖高市親王を祀る。”
とあります。
この人物は従二位・式部大輔の高階成忠(923年 - 998年)のことで、高市皇子の血をひいています。あるいはこの人物が三門に伝わる“高貴な人”なのかもしれません。

しかしながら中央政界の高級貴族・高階成忠本人が上総にまで下るとは考えにくく、来たという確かな記録はどこにもありません。
仮に、来たとしても、なぜいすみ市で、しかも辺鄙な東小高村を選んで祖である高市を祀ったのか、その理由があるはずです。

おそらく成忠は「小高氏と姫の伝説」を、たぶん当時の上総国司から聞いて感慨をおぼえ、東小高村の小高神社に代参者を派遣し、あらためて祖である高市皇子を祀る祭礼を執行したのでしょう。
成忠はその伝説を聞いて調査し、その結果、信頼に足ると判断しての代参者の派遣だったと思います。
旧小高村の「姫塚・殿塚」も「殿塚・姫塚」ではない点に注意が必要でしょう。
殿よりも姫が上位に位置づけられています。高市皇子の姫ならば従者の小高氏よりも上位になるのは当然です。
成忠の祭礼が「事実」ならば、岩熊の大宮に伝わる「小高氏と姫の伝説」の信憑性を成忠が裏書したことになります。

そして成忠が主宰する豪華な祭礼を見た人々はびっくりして
「昔、高市皇子という帝(ミカド)に匹敵するお方が来たんだってヨー」
「それなら十市(トイチ)皇女も来たのでネーカ。愛人だったそうじゃネーカ」
などというウワサを広めてしまったのでしょう。

「小高氏と姫」の伝説が核となり、やがて高市皇子本人と妻が来たというように話が膨らんでいったのだろうと推測しています。
いずれにせよ『岬町史』の文章が正しいと裏付ける他の資料はありません。
すべては1000年も前、遠い昔の伝説です。わたしの文章も「机の上での空想」にすぎません。
                            (来週金曜につづく)

 

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