★シイの実の落ちる頃 


   シイの実は生でも食べられる

「しいのみ学園」という映画を小学校の映画教室で見た時から、椎の実が気になっていました。ところが普通のドングリは見つかるのですが椎の実はなかなか見つかりません。
それでわざわざ鎌倉の八幡宮まで出かけたものです。
でも目の前にあったのです。いすみ市は椎の木が多い地域です。

この地域では夕方の5時になると「里の秋」のチャイムが流れます。
              斎藤信夫作詞・海沼實作曲 「里の秋」
   静かな 静かな 里の秋
   お背戸に木の実の 落ちる夜は
   ああ 母さんとただ二人
   栗の実 煮てます いろりばた

   明るい 明るい 星の空
   鳴き鳴き夜鴨の 渡る夜は
   ああ 父さんのあの笑顔
   栗の実 食べては 思い出す

   さよなら さよなら 椰子(やし)の島
   お舟にゆられて 帰られる
   ああ 父さんよ御無事でと
   今夜も 母さんと 祈ります

一番の第2連、お背戸とは裏口の戸。または裏門のこと。屋根はトタンぶきだから響くのでしょう。
長い間、「木の実」とは「椎の実」と信じ込んでいました。「きーのみがー」と歌うべきところを「しーのみがー」と歌っていました。
ついでながら、夜に鳴く鴨の声なんて情緒も風情もまったくありません。グェグェグェとまるで人を馬鹿にしたように鳴くのはこちらに来てから知りました。

作曲者の海沼實が戦時中、妻の実家があるいすみ市に疎開していた縁で、岬町は「童謡の里」を標榜し、実家跡地に「里の秋」の楽譜を刻んだ石碑も建てられています。
作詞家の斎藤信夫も千葉県の人で、小学校の教員をしながら童謡の歌詞を作っては各方面に送りつけていたようです。
鬼畜米英、神国日本を児童に教えていた斎藤は昭和16年、米英に宣戦布告の知らせに感激して書き上げた詩が「星月夜」、これが「里の秋」の原型です。
一番二番は同じで 三番四番は以下の通り。

   きれいな きれいな 椰子の島
   しっかり護って下さいと
   ああ 父さんのご武運を
   今夜も一人で祈ります

   大きく 大きくなったなら
   兵隊さんだよ うれしいな
   ねえ母さんよ 僕だって
   必ずお国を護ります

原爆が落とされ大日本帝国は滅び、平和が訪れた時、斎藤は自身の軍国主義教育を恥じて教壇を去ります。
そんな折、海沼から至急の呼び出しがあり、NHKラジオの「外地引揚同胞激励の午后」で童謡の新曲を発表するから、この歌詞の三番四番を削除し、あらたに三番を書き下ろせと依頼されます。期間は1週間。
斎藤は悩みました。歌詞は1番から4番まででまとまった意味を持ちます。木に竹を接ぐような歌詞の改変は可能なのか、軍国主義の歌が平和主義の歌にすり替わって良いものか…。

三番の歌詞ができたのは昭和20年12月24日の放送当日で、スタジオに飛び込み、童謡歌手・川田正子によってブッツケ本番同様でオンエアーされました。
歌い終わるとスタジオ内は静寂に包まれ、ついで大きな拍手がまきおこりました。それとほぼ同時にNHKの電話と言う電話が鳴り響き、投書が殺到します。何という曲か、もう一度聴きたい――

「さよなら 椰子の島…」には二重三重の意味が感じ取れます。もちろん南洋の椰子の島での厳しい暮らし、そこで会った現地の人々、島に残した戦死した戦友。戦争そのもの、軍国主義との決別、古い自分との決別、家族との再会、新生日本との出会い…。
この歌は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないよう にする」(憲法前文)という時代の精神、決意を静かに歌い上げたものになりました。

斎藤・海沼コンビは一躍時代の寵児となり、次々にヒットを飛ばします。
月夜の田んぼでコロロ、コロロと鳴く「蛙の笛」もそうです。
コロロ・コロロと鳴くカエルは「シュレーゲル青ガエル」で、この近辺にはまだたくさん生息しています。

 
      『童謡の里』の記念碑

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