★海から来た仏様(4) 岩船地蔵尊 

 

大原の岩船地蔵尊は平成20年に水産庁の「未来に残したい漁業・漁村の歴史文化財産百選」に認定された風光明媚な海岸にあります。
ここにはお地蔵様だけではなく七十五座の神様が海からやってきたという伝説があります。「大原町史」などを参照してまとめてみました。

――鎌倉時代中期(建治元年1275年)、正三位中納言藤原兼貞は飛鳥の春日の宮の地蔵不動尊とともに東海巡視の旅に出ました。
3隻の船で太平洋を航行中、たまたま台風に出合い、はげしい波 風に翻弄されたが、不思議なことに竜宮浄土に漂着しました。
やがて竜門を出て、再び海上に浮かび漂流し、数十日後に岩船の釣師(ツルシ)海岸に流れ着きました。この間、12人は船中で飢えや病気で死亡し、残りの63人は地元漁師に助けられ、粥などの食べ物で手厚くもてなされました。

さて嵐の翌朝、波風が収まると不思議なことに漂流船は大きな岩になっていました。船型の奇岩を地元では「御船岩(ミフネイワ)」と呼んできましたが、現在では浸食されてだいぶ崩れてしまい、それと指摘されねば気づかないかもしれません。
その御船岩の近くの海で光が輝き、お地蔵様が救い上げられました。これが岩船地蔵尊の始まりです。
村びとは、こうした不思 議な出来事により、流れ着いた人びとを神様として祭るようになります。その後、海岸に流れついた人びとは、布施の大寺地区に移り、ここに安住したといわれますが、現在では岩船七十五座と言われています。―――

海から来たこの地蔵様と神様たちの伝説は現代でも生きています。
この時に人々を助けた4集落(岡谷・舟谷・中谷・三十根)では毎年、各2戸計8戸の家が輪番でその時の様子を「岩船八幡神社」の秋祭りで再現しております。
ご飯や丸餅、鰹節、ナス、ヒジキなどを七十五の白木のお膳と椀に盛って神前に供えるのですが、船中で亡くなった12 人のお膳には鰹節はつけないのだそうです。こうした神事を終えて、はじめて御輿(ミコシ)の渡御が行われます。

かなり具体的な伝承と伝統行事で、藤原兼貞一行だったかどうかは別としても、実際にあった遭難救助が伝説の背景にあることは間違いなさそうです。
乗客・乗員は特殊な技芸、先進的な技術の持ち主だったのでしょうか。

南隣の勝浦では1609年にスペイン船が難破して救助しています。明治2年には官軍の船が難破し、これも救助しています。
外房の岩礁地帯は沿岸航海には危険な場所がたくさんあるので岩船でも同様の救出劇があったことは十分にありえます。

ただこの伝説は鎌倉中期としながら、木造の地蔵尊は室町期の作とされているので、伝説とは矛盾しています。
もともと、伝説の真偽を詮索するのがヤボで無意味な話。
地元の人々は海から忽然と現れた地蔵尊を中心とした七十五座を、海上安全、五穀豊穣等の守り本尊として大切にし、昔からの伝説・伝統にそった祭礼を続けています。
この祭礼がずっと続き、地域の人々が平和で豊かな暮らしが続くことを願っています。

                       (「海から来た仏様」連載終わり)

 

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