★天狗様に守られた万木城

   
     非常によく似た構図の三光寺の絵額(左)と飯縄(イヅナ)寺の欄間彫刻(右)
         天狗が牛若丸に免許皆伝を授ける図

いすみ市で天狗のお寺といったら岬町の飯縄寺が有名で、画像右のすばらしい天狗の彫刻が見ものです。しかし、天狗のお寺は飯縄寺だけではありません。万木城のふもとにある三光寺も天狗様を祀っています。

それにしても、なぜ外房で牛若丸? という疑問がわきます。
牛若丸が奥州に旅立つときに、鞍馬寺の天狗から全国の天狗に「保護するように」という回状が回ったそうです。天狗(具体的には山伏たち)ネットワークの中で牛若丸たちのたどったルートはベールに包まれています。
いすみ市の飯縄寺も三光寺も天狗様のお寺ですから、牛若丸を一時保護したという伝承が残されました。

飯縄寺も三光寺も天狗様とは飯縄大権現様のことで、邪悪な敵を降伏させる神様として戦国時代にはとても有名で人気がありました。
上杉謙信の兜の前立て飾りには飯縄大権現が燦然(サンゼン)と輝いており、一方の武田信玄も飯縄様を信じていました。関東地方の多くの武将も飯縄様の信者でした。

いすみ市の戦国末期の武将・土岐頼春も熱心な信者で、城内の高台に妙見堂を建立しておりました。妙見大菩薩を城の守り本尊とし、愛宕(アタゴ)・飯縄の両大権現(天狗)を武神として祀っていました。
場内だけではありません。城の西方にある深谷の安養寺でも飯縄大権現が祀られています。おそらく西の強敵・小田木(大多喜)の正木氏に備えたものでしょう。付近には万木城の出城である権現城跡があります。
東には太平洋の近くに飯縄寺があり、軍船が出撃する海路の安全確保のために飯縄大権現が祀られたのだと思います。

三光寺は薬師様のお寺ですが妙見堂があり、妙見大菩薩を中心に、右に飯綱大権現、左に愛宕大権現が祀られています。
その愛宕大権現像は土岐頼春がいつも戦場に持参していたものだと伝えられています。
ただし、わたしが参拝した時は、飯縄様は写真のみ、愛宕様は空席でした。
牛若丸絵額(画像)はここに飾られています。

城の高台にあった妙見堂の飯縄様は落城に際して、背負われて矢指戸(ヤサシド)村に運ばれました。ここは小さな港があり、おそらく土岐氏の隠し港だったのでしょう。これが現在の大原矢指戸地区の飯縄神社です。港に面した階段が印象的な神社です。

飯縄寺、三光寺、安養寺、飯縄神社と天狗様が四か所もある地域は房総でもめずらしい。
万木城は滅びてしまいましたが、人々は生き残りました。人々にとってはいわば領主様が変わっただけの話です。
万木城周辺の飯縄大権現様(天狗様)は現在でも火災除け、海難除け、航海安全、津波除け、はては豊年満作、学業成就に不老長寿、金運まで人々の願いを叶える神通力があるとして篤い信仰を集めています。

 

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コメント

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右馬さん、ご丁寧な返事をありがとうございます。飯縄神社は高台にあり、今回の津波や度重なる過去の大津波にも無事だったと思います。ここに避難すれば安全という印象でした。飯縄様はもともと風を操る神様ですから人々を海難・火災から守り、海の幸を恵み、人々の安全と幸福を見守ってきたのでしょう。それも人々の篤い信仰があり、鎮守の森を維持してきたからだと推察いたします。ご神体は秘像だそうですから参拝はあきらめました。またいろいろご教示ください。

ご先祖様の名前からハンドルを右馬としたつもりでしたが、尻切れになってしまってました。さて、ご神体ですが一般公開は一切してないはずです。神社を建て替える時も、曽祖父が体を清め白装束の懐に入れ、人目に触れないよう移動したとのことでしたから。万木落城時の混乱の中、ご神体を背負い追っ手を逃れ、道無き山をいくつも超えあの地に落ち延び、家の裏山へご神体をまつったのが四百数十年前のこと。家運は栄枯盛衰があるもの。 永遠に残す為に部落の神社としたと聞いてます。ご神体の美術的価値は知りませんが、500年程前に万木城の人々が拝んだ思い、また矢指戸での人々の願いを聞き続けてきたかと思うと、現代に生きる私にとっても重要なものであると感じざるをえません。落城時に財宝類は近くの井戸に投げ込み埋めたというのに、ご神体である白狐の木造は肌身離さず背負って逃げたのですから、子孫としては拝まずにはいられないってことでしょうかね。(笑)