★海から来た仏様(1) 波切り不動  

 
   大原の大聖寺・波切不動さま

いすみ市、大原漁港の近くにある大聖寺は「波切不動さま」といい、漁師やその家族、漁業関係者から篤い信仰を今でも集めています。
教育委員会が建てた看板によれば、宝治二年(1248)、地元の漁師・小浜道猷( オバマ ドウユウ)の妻が海藻を獲るとき海中で不動明王を発見し安置したそうです。
この伝説は教育委員会発行の『いすみの民話』では少し話が違っています。
不動明王を発見したのは「お丹(タン)」という貧乏漁師の娘で、その両親の名は語られていません。

“――むかし鎌倉時代の話です。大原に貧しい漁師の親子が住んでおりました。父は魚を取っては売る暮らしですが、母は病弱でふせっておりました。
一人娘の名はお丹(タン)といい、炊事・洗濯・掃除など家事一切を母の代わりにこなし、さらに余った時間は浜に出て貝をひろい、流れ着いた海藻をひろっては暮らしのたしにしておりました。お丹はたいそう信心深く、母の病が癒えますようにと毎日ご先祖様に祈っておりました。

ある日のことです。いつものように流れ着いたワカメやカジメ、テングサなどの藻くずをひろっていると妙に重いのです。お丹が藻くずを取り除けてみると、それは砂にまみれた小さな石のお不動様でした。お丹はお不動様を海水で洗い、砂を落とし、井戸の水できれいに清めて自宅に仮のお堂を作って安置しました。
毎日毎日、お不動様に水を差し上げ、野の花を活けて大切に拝んでおりました。
すると不思議なことにしだいに暮らし向きは良くなってきたのです。母の病気もだんだん良くなってきました。これはお不動様のおかげだと、前よりも一層熱心に拝みました。

貧しかった漁師の家がしだいに豊かな暮らしをするようになると、この話は近所でも評判になり、お不動様をぜひ拝ませてほしいという人も増えてきました。
お不動様を信心する人々が増えるにつれ、こんな歌もはやりました。

    あら不思議やな あら不思議
    モクの中から銀色に、光り輝く不動様 
    お姿尊(トウ)と、あら尊と

人々が大勢参拝に来るようになると自宅のお堂ではせまくなり、もっと広い場所に新しいお堂を建てることになりました。このお堂は大原漁港に近い高台にあり、今は関東36不動霊場の35番札所の大聖寺不動堂と呼ばれ、人々は親しみを込めて「波切不動様」と呼んでいます。
またお丹がお不動様を発見した浜辺は「丹が浦」と呼ばれるようになりました。――“

お不動様を海岸で発見したのは、小浜道猷なる人物の妻という説とお丹という娘が発見したという二つの説があるわけですが、共通点は鎌倉時代、海岸で、女性が発見したということです。ここが伝説の「核」で、固有名詞はさして重要ではありません。
「板子1枚下は地獄」のたとえ通り、いったん海に出ると漁師稼業は何が起きるかわかりません。海が荒れている時は目の前で座礁・沈没した船の乗員を助けることさえできないのです。
漁師たちが海に出かけると、陸に残された妻や娘は父・夫・兄が今日も無事に帰宅することを切に願っておりました。
女性たちのその切なる願いが神仏に通じ、霊験あらたかなる不動明王が浜に現れてくれたのでしょう。
漁に出る男たちもこのお不動様を信じたのは言うまでもありません。

不動堂は旧国宝。国宝指定の基準が厳しくなった戦後は重要文化財指定。一見すると大した建物ではありませんが、室町時代のお堂の様式を現在に残す貴重な建造物です。
火災にもあわず、津波にも耐えて今日まで残っているのですから、後世に残したいお堂であり伝説です。

なお画像のように安置されているお不動様は大変立派なものですから、後世に信者たちの寄進による「前立て」と呼ばれるイミテーションでしょう。本物はたぶん秘仏だと思います。

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