★頼朝伝説(4) 筆掛けの槇(マキ)


  目通り幹周囲4.8m。推定樹齢1350年の堂々たる槇の木

名熊の「箸杉」の近く、いすみ市大原町下布施に天台宗の長福寺という古刹があり、ここは頼朝伝説が幾重にも重なったお寺です。(詳しくはお寺のホームページ参照)。

――長福寺は大同2 年(807)伝教大師創建の古刹。当時、山号はなかった。
石橋山の戦いの後、房総に逃れた源頼朝が平家追討の書状を長福寺でしたためた。その時住職の差し出した硯が大変素晴らしかったので感激した頼朝はお寺に「硯山」の山号を与え、以後、正式名称を「硯山無量壽院長福寺」(スズリサン ムリョウジュイン チョウフクジ)とした。
書状を書いている時に突然、馬のいななきが聞こえ、すわ平家の襲撃かと警戒し、筆を近くの槇の木に掛けた。これが画像の「筆掛けの槇」
部下を探索に出したところ、真っ黒な名馬を得た。近くに馬の牧場があり、その中の一頭だった。頼朝は書状をしたためている時だったので「磨墨 スルスミ」と名付けた。名馬・磨墨は宇治川の合戦でこれまた名馬・生食(イケヅキ)と先陣争いを演じた。都内某所には磨墨の墓があり、「布施郡から得た馬」とある。
頼朝が長福寺に来たには布施城主・上総広常攻略後とも伝えられている。―――

火のない所に煙は立たず、何の根拠もなく伝説が生まれたわけではないのでしょうから、このお寺は頼朝の天下取りになにがしかの縁があったのかもしれません。

鎌倉幕府の成立とは、いわば武士による革命でした。
貴族化した平氏を打倒し、武士による武士のための政権を樹立したのが鎌倉幕府です。
幕府は、武士が管理する土地の所有者はその武士だ、という「農地解放・農地改革」を実行にうつしました。
多くの武士が「われらが独立できたのは鎌倉殿のおかげだ」と深く感謝したことは想像に難くありません。
その一方で、落ち武者・頼朝を助けて天下を獲らせたのはわれら房総武士団であったという自負もあったはずです。
外房の頼朝伝説は、外房の武士が頼朝と一緒に戦ったのだという思い出が伝説の形で残されたものでしょう。

長福寺を訪問した時、奥様には大変丁寧な解説を頂き、感謝しております。
また素晴らしい本尊様、波の伊八の彫刻、巨大な硯など拝観に値するお寺でした。

補注:名馬・磨墨の出身地は隣町の鴨川はじめ関東各地にあります。どこもみな郷土自慢では引けを取りません。

 
 

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