★頼朝伝説(1) 江場土の兜松 

 
 国道128号を茂原に向かって夷隅川の手前右。「てばや」さんの角を曲がってすぐ

房総半島には源氏にまつわる伝説・民話が数多くあり、いすみ市の江場土(エバド)には「頼朝が休息した時に兜をかけた松」があります。
残念ながら今は枯れてしまったので、現在は画像のように新しい若い松が植えられ、地元の有志による記念碑が建っています。記念碑には「兜」ではなく「甲」の文字が刻まれていますが同じことです。

――源頼朝が平家打倒のために仕掛けた石橋山の戦い(1180年)は惨敗で、頼朝主従は命からがら伊豆から海路、房総半島に脱出し、あらためて平家打倒の兵力を集めます。
その途中、夷隅川(イスミガワ)のほとりの小高い丘で休憩をとった時、地元の若者が「むしろ替りにどうぞこれをお使いください」とひと束のワラを差し出しました。
喜んだ頼朝は傍らの松に脱いだ兜をかけながら「天下をとった暁には、そちの望みをかなえよう。何が望みか?」と問いました。
若者は「宝物などもらえば妬まれるし、盗賊が来るかもしれない。姓(ナマエ)を頂きとうございます。」と答えたので頼朝は感心し、
「お前がくれた一束のワラにちなみ、以後、一藁(イチワラ)と名乗り、子々孫々に伝えるが良い」と応じました。
そのことがあってから、頼朝が休憩した場所を「兜島」、兜をかけた松を「兜松」と土地の者は言うようになった。―――

以上が伝説の概要ですが、史実の上では頼朝が外房に来た形跡はありません。しかし、伝説が史実と合致しないと騒ぎ立てても意味のない話です。
伝説の背景は、土地の者が頼朝を身近に感じ、頼朝の権威を自らの拠り所としてずっと生きてきたということでしょう。それは尊重すべきことがらです。
ちなみに、電話帳で調べたら、いすみ市岬町江場土近辺には今日でも「一藁」という姓の人が何人もおりました。

頼朝が休憩した場所は小高い丘で、それは敵を警戒するためには適切な場所です。そこが長い年月の末に小高くない場所になったとしても不思議ではありませんが、現にある兜松の場所は平地で田んぼに近く、「兜島」と特徴づけられる地勢ではありません。
どうせなら、みんなが納得する小高い場所を伝説の休息地とすればよかったのに、と悔やまれますが、そこが伝説だからしょうがない。

追記:
その後、土地の人の話を聞く機会がありました。--昭和初期まで畑の中にちょっとした丘に松があり、周囲からそれと分かる場所だった。戦後、国道を土盛りして江東橋の橋脚を高くする工事があり、それで目立たなくなった。周囲が宅地化せれていっそう目立たなくなってしまったーーーということだそうです。昔は兜島らしい地形だったとの証言が得られました。

 

 

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