★頼朝伝説(2) 和泉の箸杉  

 
   「大杉碑」とある明治時代の石碑

いすみ市岬町和泉地区には源頼朝の箸杉という巨木がありました。

――江場土の兜松で休んだ頼朝一行は夷隅川を渡り、和泉地区で昼食を取った。箸の持ち合わせがないので杉の小枝を折って使い、その枝を地面にさしたところ根がついて大木になった。
V字型になった古木で、源氏の白旗にちなんで白幡杉と土地では言い習わしてきたが、今は枯れてしまった。明治時代、土地の有志が石碑を建てて伝説を後世に伝えた。――

中原からスーパーレオのT字路に向かう道の左側にあります。レオの近くで、いつも車で通っているのに気づきませんでした。
この石碑を探すのには苦労したんですよ。一説には「飯縄寺の前」とありましたからお寺さんに尋ねましたが知らないと言われました。石碑はまだ存在しているのか、石碑があっても巨大な杉はもうないのだから探す目標がありません。
地元の人に何人かインタビューした結果、若い人は知らないと言い、年配の方は見たことがある・聞いたことがあると言います。最後にOさんが、「きっとあそこんだから、行ってみんべぇよ」と案内してくれました。

そこはかつて「大杉商店」があった場所で、民家の一画・道路沿いです。
たまたま年配のご主人と出会い、お話を聞くことができました。ご主人はWさんと言いますが、近辺では大杉商店の大杉さんで通用するようです。

――大杉商店という屋号は大きな杉があったからに違いない。石碑の側にある杉は実生で勝手に生えてきたもの。50年近くなるのではないか。
頼朝の箸が大木になったというが伝説だから真実かどうかわからない。
頼朝は房総に来たあと、内房沿いに千葉市方面に北上したらしいが、房総の武者たちを招集するために三人の使者を各地に派遣した。そのうちの一人でも来たのではないか。
かつて町が石碑を管理するという話があったが、10m四方を指定地にするというので断った。そんなに取られたら住む場所がなくなっちまうからネ。―――

そのような経緯からか、ふつうはあるはずの教育委員会の説明プレートはありません。小学校の副読本として使用している教育委員会発行の伝説民話集『いすみの民話』にも載っていません。
文章にして残していないと地元の人々の伝説の記憶はいずれ消えてなくなってしまうことでしょう。

訂正:『いすみの民話』にも数行の記載があったのを見逃しました。
それによると頼朝は「余が天下を治めるころには、この杉の枝は大杉となってそびえているであろう」と語っています。

 付録:何有荘で咲いているナデシコ(園芸種)。
W杯おめでとう。


 

関連記事
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント