★里山の女王・キンラン

 
    木漏れ日の中でハッとする美しさ

毎月1回、里山で草刈りなどのボランティアをしています。タラの芽など里山の恵みをタダで収穫できるのが楽しみであり、絶滅危惧種のアカガエルなどに会えるのも楽しみです。
画像は里山で咲いているキンラン。今年は豊作と言うのでしょうか、たくさん咲いています。まもなくササバギンランも咲き始めることでしょう。
周囲の込み入った雑木を伐採したから下草にまで日の光が届くようになり、ようやく「日の目を見るようになった」ものと思われます。

ココに生えている、あそこにもあると発見するたびに疲れが吹き飛びます。
こんな美しい花が昔はどこにでも生えていたそうですが、今や絶滅危惧種。
経済至上主義とはモンスターみたいなものです。山々を荒らして野草を蹴散らし、野の花を愛でる心の余裕さえなくし、挙げ句の果ては盗掘してもうけようする人さえでる始末。

松島の親戚を激励訪問した時に、「“遠い親戚よりも近くの他人”と言うけれど、遠い親戚だって少しは役に立つ」と話したら、冗談好きの従兄弟は「いや、近くの他人は恐ろしいこともある」と言っておりました。
津波で何もかもなくした人が、漂着した他人のものを片っ端からぽっぽに入れているという話をしてくれました。
イザとなると浅ましいもんだと従兄弟は言います。もちろん非常時ですから島中の人が助け合って暮らしているのですが、中には不届き者も実際にはいるのが現実のようです。

ただ、そのような人でも一瞬花の美しさに感嘆することはあるでしょう。
次の瞬間には、これでもうけようとか、自分の庭に持って来ちゃおうと考えてしまうのかもしれませんが。
日本型仏教の特徴の一つは、自然の花と悪人の心がたとえ一瞬でも触れあい、通う所があるという事実を重視する点にあります。
そこに救いの芽を見るわけで、「一切衆生悉有仏性 イッサイシュウジョウシツウブッショウ」と難しい言葉で言います。
平たく言えば、だれでも仏様になれる本質を持っているという言葉です。

里山でいつもそんなことを考えているわけではありませんが、キンランを発見するとだれでも「何でこんな所に美しい花が咲いているんだろう」と感嘆するにちがいありません。

 

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