★東電が無視した貞観の大津波とは

 
        無惨な原発(グーグル画像)

産業技術総合研究所の岡村行信活断層研究センター長は09年の通産省の審議会で
「東電の想定とは比べものにならない非常にデカイものが来る」と指摘しました。
東電は「(貞観地震は)歴史上の地震であり、……耐震設計上考慮する地震にはならない」と答えて警告を無視していたことがマスコミを通じて広く知られるようになりました。

岡村さんの研究によれば当時の海岸線から1.5kmほどさかのぼった地点からも津波の跡が発見され、推定マグニチュード8.4。今回は9.0。
巨大地震が450~800年周期で訪れると警告していました。

その貞観11年(869年)の大地震の記録は『日本三代実録』巻16にあるということなので、その原文を入手してみました。
難しい漢字だらけで解読に自信はないけれど、とりあえず現代語訳してみます。

5月26日 陸奥国の地が大振動。(夜であるにもかかわらず)流光によって昼間のように空が明滅した。その時人民は泣き叫び、倒れて起きあがることができない。家屋が倒れて圧死し、地が裂けて埋死した。牛馬は狂奔して我先に相手を踏み越えて逃げまどっていた。(多賀城の)城郭・倉庫・門・やぐら・垣・壁などみな崩れ落ち、ひっくり返り、その数は数え知れない。
海口はほえたて、まるで雷電の声のようだった。恐るべき大波と膨らんだ海が走り回り膨らんだまま地面をさかのぼり、あっというまに城下にまで来た。
海からの距離は数十里~百里。(洪水の)はてがどこか見当も付かない。原野も道路もたちまちにしてすべて青海原になってしまった。
船に乗って逃げる余裕もなく、山に登って逃げることもできず、溺死した者は千数百人。家屋や資産、作物など何一つ残るものなし。
   ※当時の1里は約500m、当時の日本の総人口600万人程度。詳細不詳。
   ※地震光という伝承は各地にあるが詳細不詳。単に雷雲がそばにあった?

原文
五月(中略)廿六日癸未。陸奧國地大震動。流光如晝隱映。頃之。人民呼。伏不能起。或屋仆壓死。或地裂埋殪。馬牛駭奔。或相昇踏。城倉庫。門櫓墻壁。落顛覆。不知其數。海口哮吼。聲似雷霆。驚涛涌潮。泝漲長。忽至城下。去海數十百里。々不弁其涯。原野道路。惣爲滄溟。乘船不遑。登山難及。溺死者千許。資産苗稼。殆無孑遺焉。

今回の地震・津波は歴史に残る大災害ですが、東電の無為無策も歴史に残ることでしょう。

  

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