★津波の警告:飯綱寺の彫刻『飛龍』

 
      翼のある龍はめずらしい(画像はクリックで大きくなります)

江戸時代に「波の伊八」と称される名彫刻師が外房におりました。
波を彫らせたら当代随一で、「上方職人は江戸にいったら波を彫るな」と言われたそうです。
江戸には波彫刻の名人がいるから恥をかくぞという意味です。
画像は何有荘近くにある飯綱寺(ハンジョウジまたはイヅナデラ)の結界欄間にある「飛龍」です。

近頃お寺さんがJRと組んで宣伝しだしてから「天狗のお寺・伊八彫刻のお寺」として有名になり、観光バスでゾロゾロお客さんがきます。
お客さんの目当ては欄間中央の「天狗と牛若丸」。すばらしい一木造りの彫刻で技巧のサエに感心するばかりです。しかし「波の伊八」の「波」を鑑賞するならば左右の欄間にある飛龍を見るべきでしょう。

伊八は和泉が浦の波間に馬で乗りいれ、その波の寄せては崩れる荒波を馬上から熱心に観察したそうです。
この付近一帯は現在も波が大きく荒く、それゆえサーファーのメッカとしても有名になっております。
ところが飛龍の彫刻を見てみると、サーファーも恐れて海から逃げ出す大荒れの海です。すごい迫力です。つまり伊八が彫った海は太東海岸のいつもの海ではありません。

飯綱寺は元禄大地震後の巨大津波で破壊され流されました。その飯綱寺の再建本堂の欄間彫刻を依頼されたのが伊八です。
彼は1752年に外房の鴨川生まれですから1703年の「元禄大地震・大津波」の直接の被災者ではではありません。
しかし、村を襲った大津波の恐ろしさを村人から聞いて育ったことは容易に想像できることです。
巨大台風の荒波をはるかにしのぐ大海嘯(ダイカイショウ)とはどのようなものか、芸術家としての血が騒ぎます。そして彫り込んだのが「大嵐の中に跳梁(チョウリョウ)する飛龍」でした。(1816年頃)

通常、龍は翼がなくとも空を飛び、雲を呼び、雨を降らし、嵐を起こします。
しかし元禄大津波は当時の人々の想像を絶する未曾有の被害をもたらし、飯綱寺を押しつぶしました。人々はその凶暴さに恐れおののき、絶望さえ感じたことでしょう。
画像をご覧ください。凶悪な形相の飛龍が彫り込まれています。
元禄津波の凶暴さを描くには伝統的な翼のない龍では表現できず、江戸時代の常識を超えた「翼をつけた龍」でなければならなかった…。

絵画・彫刻史的には、この頃、欧州の翼を持った龍(ドラゴン)の絵画が江戸にも知られるようになり、そのアイデアを拝借したことになっています。
そうかも知れませんが、彼が彫刻家として後世まで人々に残し伝えたかったことは『巨大地震と大津波』のすさまじい破壊力であり、その後の人々の悲惨さです。
「恵みの海」はある日突然に「魔の海」に激変する。海を侮(アナド)るな。海を恐れよとノミの一振り一振りごとに死者への思いを込めて彫り込んだ鎮魂の彫刻が『飛龍』として結実したものに違いありません。
お寺の欄間の勇壮な装飾品として眺めるのではなく、伊八が後世の人々に残したメッセージとして受け止めたいと思っています。

 
 
 

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