★年寄りが集まると

 
        仙厓筆「老人六歌仙」

画像は出光美物館所蔵の「老人六歌仙」で作者は江戸時代末期の臨済宗の禅僧仙厓(センガイ)。
訳のわからぬ文字は、次のように解読されるそうです。

シワが寄る ホクロがでける 腰曲がる
   頭がはげる ヒゲ白くなる
手は震え 足はよろつく 歯は抜ける
   耳は聞こえず 目はうとくなる
身に添うは 頭巾 襟巻 杖 めがね
   たんぽ(湯たんぽ)おんじゃく(温石=カイロ)しゅびん(尿瓶)孫の手
聞きたがる 死にとむながる(死にたがらない)淋しがる
   心は曲がる 欲深くなる 
くどくなる 気短になる 愚痴になる 
   でしゃばりたがる 世話やきたがる 
又しても 同じ話に 子を誉むる 
   達者自慢に 人はいやがる 

まるで自分の姿を合わせ鏡で見たようだ、と今でも年齢を重ねた人々から絶大な支持を受けている文章です。
この画賛(絵に添えた文章)の意味は、老人が自分は老人であると自覚せよ、という警告だと受け取っている人が多いのですが、真意は老人賛歌です。

画像をよく見ると、みんな笑っているでしょう。
こんな画賛を読んで落ち込んでいるようじゃ修業が足りない。
若い人(時)と比べたら情けない姿だが、それを深刻に嘆くのは愚かだと仙厓は言っています。
それはそれで自然の姿だから、笑って過ごしなさい、笑い飛ばしなさい、昔と比べるとずいぶん変な姿になったナァ、オモシロイ姿になっちまったナァと笑い転げられるのが老人力だと仙厓は言っています。

老人になったからこそ得られた悟りの境地、ことここに至れば老人こそ赤ん坊と同様に無我の境地に近い。虚飾を求めません。

ところが、わが身を振り返ると、仙厓さんの境地には至りませんネェ。
今になっても、嘆いたりガッカリしたり、恨んだりねたんだり、自慢したり良からぬことを考えたりします。

悟りの境地に到達しようなんぞ考えたこともない、という人に人気があるのがサムエル・ウルマンの詩。

  “真の 青春とは 若き 肉体のなかに あるのではなく
     若き 精神のなかにこそ ある“

青春とは年齢ではなく、精神の若さである、など言われると「ソウダ! ソウダ!」と思わず飛びついてしまいます。
そこで調子に乗って
  「最近ノ若者ハ覇気ガナイ!」
などと鼻息を荒く言い出せば、その人は間違いなく老人ですね。

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