これが菖蒲(ショウブ)の花

   
        菖蒲を今は「葉菖蒲」と言うらしい

平安時代の清少納言、『枕草子』は「春は曙…」で有名ですが、彼女が好む草も『枕草子』には多数列挙されています。
その筆頭は――「草は菖蒲(ショウブ)、菰(コモ、マコモ)。」(66段)

当時の菖蒲はアヤメでもカキツバタでもハナショウブでもありませんでした。
湿地帯の大きな草で、今頃の季節には茎を掻き分けてみると画像のように直径8mm長さ8cmぐらいのサエナイ花が咲いています。(近所の沼で撮影5/30)
ミズバショウやカラーと同じくサトイモ科ですから似たような花です。
この菖蒲の葉を厄除けの薬草として仲夏のぞろ目の日=5月5日の菖蒲湯に使いました。
これはもちろん旧歴の行事で、新暦だと今年は6/16――季節の変わり目です。

一方、マコモは昔コジキのことをオコモさんなどと言いましたが、マコモの葉で編んだのがムシロでした。当選祝いなどで日本酒の大きな樽を開きます。その時の樽は薦被り(コモカブリ)。
これも水辺の草で、ショウブと比べると茎の根元近くがぐっと太い。
その根元付近はマコモダケという食品で、昔の人にはオナジミでした。有用で神聖な草でした。
ところが葉先だけを見てみると両者の区別はほとんど不可能。

それでこんな歌が5月5日の出来事として『太平記』(21)に載っています。

   “五月雨に 沢辺の真薦 水越て 何菖蒲と 引ぞ煩ふ”
    サミダレに サワベのマコモ ミズコエて イズレショウブと ヒキぞワズラう

水かさが増えてしまったら、(根元が見えないので)菖蒲も菰も区別がつかない、これが菖蒲だと言い当てることができない――という意味です。

歌の主は源頼政。宮中に出没するヌエという怪鳥を退治した報償として、思いを寄せる菖蒲前(たぶんショウブノマエと読むのだろう)を下賜されることになったが、殿上人が武士をからかい、菖蒲前と同じ年格好・背恰好の美人を数名、同じような化粧と衣装でズラリと並べ、サァ 愛スルショウブノマエを当テテミヨ と無理難題を押しつけられた時に困窮して作った歌。
当時の武士は宮中の女性など遠目にしか接することが出来ませんが、彼が菖蒲前に一目惚れをしていると宮中でもウワサになっていたのです。

この時の歌が元となり、江戸時代に「いずれがアヤメかカキツバタ」という語句が成立しますが、本歌はあくまでも「ショウブかマコモか」と悩んだという意味で、源頼政は明らかに『枕草子』をふまえております。
武士の分際で当意即妙の歌が作れ、しかも宮廷文学の素養もあるとのことで京中の評判となったそうですが、事実だったかどうかは保留にしておきましょう。

ショウブとマコモ。清少納言が愛した水辺の草は現代人からは見捨てられ、だれもがその姿を見ても見ず。
雑草として刈られ、埋め立てられ消えてしまうのがいかにも惜しく思われます。

 

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