海軍のターボジェット特攻基地跡

 
        いすみ市文化財指定遺跡

画像左は旋回盤台座(直径3.15m)、右は断崖をくりぬいた格納庫。
格納庫はツルハシとノミを使った手掘りで高さ5.2m、幅4.4m 奥行き36.5m。
ここに最新型のターボジェットエンジンを備えた「桜花 オウカ」という特攻機が5機格納される予定でした。別の格納庫に3機、合計8機。
格納庫から出た特攻機は旋回盤で向きを変え、さらにもう一度向きを変えてカタパルトに移って出撃します。カタパルトとは飛行機の発射装置で、これがあると滑走路(飛行場)は要りません。
カタパルトも最新型で、火薬ロケットで桜花を飛ばす設計でした。

先の世界大戦末期、同盟国ドイツは1945年(昭和20年)5月に無条件降伏し、6月23日には沖縄は焦土となって沈黙しました。
7月26日に米英中がポツダム宣言を発し、日本に無条件降伏を勧告しましたが政府はこれを無視。天皇の処遇が不明確との理由でした。
内地の空爆は激しさを増し、政府は無謀な本土決戦を叫び続け、さらに多くの命が奪われます。

この戦争遺跡はその時期のものです。
九十九里浜沖に出現するであろう敵艦隊に体当たりするため、片道だけの燃料を積んだ人間爆弾飛行機=特攻隊の基地跡(いすみ市行川:ナメガワ)です。
桜花は全長約六㍍、両翼を含めた全幅約五㍍の小型機。格納庫に納まるように両翼は折りたたみ式。頭部に800kgの大型爆弾を積み、中央部にパイロットの座席、後部には推進用のジェットエンジンを搭載していました。もちろん着陸用の車輪はついていません。
格納庫などの施設建設には予科練生が動員され、6月に着工してわずか1ヶ月後の7月に完成しました。機材も食料も乏しい中での突貫工事でした。
米軍は空撮などでこの秘密基地の存在をウスウス知っていたらしく、純農村地帯であるにもかかわらず機銃掃射などの空襲は度々あったそうです。
しかし8月15日が終戦ですから、桜花は1度も実戦には使われませんでした。

正式な名前を 横須賀海軍鎮守府桜花特別攻撃隊行川基地 といいます。
現地は私有地で、案内して下さった地主のYさんは当時まだ小学生だったそうです。
金属部品は戦後のどさくさで持ち去られてしまい、敷地と施設の一部は畑になり、あるいは新設の小学校敷地になりました。
Yさんは快活な方で丁寧な説明でした。
今は草むした遺跡で保存のための市からの特別な援助はないそうです。
そのまま「ツワモノドモガ夢ノ跡」になるのを惜しんで話し込んでしまい、ついには自宅にあったサボテンまでおみやげに頂いてしまいました。

 

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