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★蒲(ガマ)の穂

 ガマの穂綿
   
いすみ市でも夷隅川の河口にある岬町にはガマの自生地がたくさんあります。
はじめてガマの本物を見たときは図鑑そっくりだと感激したものです。
ところが秋から冬にかけて、蒲の穂は例のフランクフルトそっくりな形状がモワモワの綿毛に変身します。
それが皆風に吹かれて飛んでくるのです。
窓なんか開けてはいられません。その季節の網戸は虫よけではなく、綿毛よけとして必需品です。

最近ガマをよく見かけるようになりました。
高齢になった農家さんが田んぼをやめ、しだいに荒野・湿地帯に戻りつつあり、どこから来るのかガマが自生しだしているのです。
知り合いの農家さんは、あと何年かするとこの近くの農家は全滅して、景色は江戸時代初期に戻っちゃんじゃないの、と悲観的なことをおっしゃっていました。

ガマの穂といえば思い出すのが因幡のシロウサギ。
古事記の原文では「稻羽之素菟」であり、因幡の白うさぎではありません。

稻羽は因幡だとしても、素菟が白いウサギであったとは思えません。
日本在来のウサギは薄茶色で、北国の場合、真冬の雪の時期に白毛になる場合があるようですが、房総の野ウサギはいつでも薄茶色です。
オオクニニシ一行が旅をしていたのは雪深い真冬のはずがないので、赤裸にされていたウサギの地の毛色は薄茶色であったはずです。

素人と書いてシロウトと読むように、素菟と書いてシロウサギと読んだのは本居宣長ですが、あまり自信はなかったようです。
シロウサギを白ウサギに充てたのは後世の人です。たぶん野ウサギの生態に疎かったからでしょう。

隠岐の島から海岸までワニを並べたといいますが、島根県の白兎海岸までは50kmもあり、ちょっと想像を絶します。
古事記にある淤岐嶋を隠岐の島に充てるのは無理があります。

隠岐は昔から隠岐と表記し、淤岐と表記することはありませんでした。
淤岐と表記するときは現在の「沖」であり、一般名詞でした。

その点では白兎海岸にある白兎神社の説がおもしろい。
海岸から150m先の小島をオキノシマというそうです。
そのくらいの距離ならばぴょんぴょん跳ねて島から陸地にたどり着けそうです。

もっとも神話の舞台を現実の地理に当てはめようとすること自体に無理があるのかもしれません。
Wikiによれば世界中によく似た民話があります。

シベリヤではウサギとワニではなく、キツネとアザラシ。
インドネシアではシカとワニ。
アフリカではウサギがワニをだまし、怒ったワニにウサギが尻尾をかみ切られて尻尾が短くなったというそうです。

そこまで話を広げると、因幡の白兎の話は世界中の古代人に広まっていた民話の日本バージョンということになります。
なかなか奥が深い。

ついでながら、東京の学校でワニさん(和邇さん)という人を知りました。
飛鳥時代の豪族、和爾氏の末裔ですか、とお尋ねしたらそうだとおっしゃいました。
ワニさんのご先祖とウサギ族(宇佐八幡宮族)との間に何かトラブルがあったのでしょうかねぇ。
今となっては何もわかりません。


 
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