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★初詣巡り――いすみ市の出雲大社

出雲大社
    国吉神社境内に立派な出雲大社がある

国吉神社境内が見違えるほどキレイサッパリに環境整備されたのに伴い、今までちょっと見過ごされてきた出雲大社も大変目立つようになりました。

それにしても、なんで出雲大社がいすみ市にあるの?
その疑問に答える以下のような看板が新設されていました。(改行、筆者)

幕末の作田村に斧嶽(ふがく)と号する人並みすぐれた怪力と才知の持ち主がおり、その怪力ぶりは米俵二俵を背負い、両手に一俵ずつさげて持ち、口に一俵をくわえて持ち歩いたと伝えられる程でありました。
長州征伐の際、幕府軍の目付役となった村の領主は、強力無双の斧嶽を従者に選び、一行が島根県の出雲大社へと到着した際、折しも大祭の奉納相撲が催されており、斧嶽はその相撲に加わり無敵の強さを示し、出雲大社の千家宮司は斧嶽を見込んで神璽(みしるし)を授けまつらせました。
故郷に帰った斧嶽は仮殿を設け篤く信仰し、その後、信者は日増しに増え、ついには諏訪神社(現在の国吉神社)の隣に明治二十四年に神殿を完成させ翌年には盛大な遷宮式が行われました。
 

文中、不祥な語句を調べてみました。

作田村――今は中川町の一部になっている。
米俵――60kgだから、背中に120kg背負い、左右の手に60kgずつ。口に60kg。計300kg。
    オリンピック超金メダル級のとんでもない怪物が地元にいたもんだ。
長州征伐――1866年の第二次長州征伐。石州口は長州の圧倒的勝利に終わる。
村の領主――大多喜藩主大河内正質だと思う。当時、幕府の若年寄。
        戦後処理で長州に向かう途中での大社参拝か。
        1868年の鳥羽伏見の戦いでは幕府軍総責任者。
千家宮司――第79代千家尊澄(センゲタカスミ)。千家・北島両家が出雲国造。大社の行事を仕切る。
      両家はあまり仲良くないようだ。
      80代千家尊福は明治5年、出雲大社教設立。一方、北島家は出雲教設立。
      いすみ市の出雲大社には「上総教会」との表記がある。

幕末からの尊王攘夷運動で、伊勢のアマテラスばかりが脚光を浴びると、オオクニヌシを祭る出雲大社は危機感を抱きました。
現世のことはアマテラス、あの世のことはオオクニヌシ。二柱の神は同格だと主張しましたが、国家神道ではアマテラスを最高位としてしまいました。

文明開化で日本の伝統が打ち捨てられることにも危機感を抱き、積極的に国民の中に布教し始めました。
いすみ市の諏訪神社境内に出雲大社が設立されるのは、このような時期です。

諏訪神社の神様は建御名方(タケミナカタ)で大国主の子ども。武神。
今はオオクニヌシと一緒に、親子そろって同じ敷地に鎮座ましましています。

長く複雑な歴史のある出雲大社ですが、今日ではすっかり穏やかになり
境内には 『縁結びの神、福徳の神』 とありました。
一般庶民にとっては、幸せをもたらす神様--だと思います。



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