★2020オリンピック サーフィン会場は釣ケ崎海岸

釣ケ崎
     釣ケ崎海岸から釣ケ崎を望む

外房海岸はどこも波が荒く、水際からすぐ水深が深くなるので子どもも遊べる安全な海水浴場は意外と少ないのです。
その波の荒さがサーフィンには適しているようで、2020東京オリンピックのサーフィン会場に選ばれたのが画像の釣ケ崎海岸。
何有荘から車で10分。いすみ市と隣接した一宮町の海岸です。

台風22号の直後でしたから大波が押し寄せていました。
サーファーはさすがに誰もいませんでした。
周囲の広大な防風林が駐車場や観覧席に造成されるようですが、今のところその気配はまったくありません。
知人のサーファーショップのオヤジは「全く関係ない」と言っていました。

この海岸はもともと上総一宮の玉前(タマサキ)神社の祭典会場で、9月の例大祭の折は近隣の神輿が集結して海岸線を走り回る勇壮な「上総十二社祭」の浜降り神事の場所です。それを示す大鳥居も立っています。
その日以外はサーファーの天下で、サーファーの間では有名な海岸で、サーフショップも多く、何有荘周辺にもサーファーさんがたくさん移住して住んでいます。

≪釣ケ崎、その名前の由来は神話≫
画像奥に見える釣ケ崎は古事記・日本書記にある「海幸彦・山幸彦神話」に由来しています。
海幸だか山幸だかが釣りをしていた岬だそうです。

海幸彦から借りた釣り竿の釣り針を魚に食い逃げされて困惑した山幸彦はいくらあやまっても海幸彦から許しが得られない。
そこへ不思議な老人が現れて竹で作った特殊潜航艇で山幸彦は竜宮城へ行く。乙姫様と仲良くなったが、ふと地上が恋しくなり地上に戻る。
地上に戻る山幸彦に乙姫は妊娠していることを告げる。大嵐の日に地上に行くから、海岸に出産小屋を建てて待てと命じる。ただし出産時は小屋の中を見てはいけないと釘をさす。
ところが山幸は小屋をのぞいて出産シーンを見てしまう。
そこで見たものは古事記によれば大きなサメ。日本書記によれば龍の出産。
恥をかかされたと怒った乙姫は海に帰り、地上と海との通い路を閉じてしまう。
しかし、乳飲み子を地上に残したことを気にした乙姫は妹を地上に送り、養育させる。


この乙姫様の名前が豊玉姫。妹の名前が玉依姫。
何有荘地元の中原・玉崎神社のご祭神が姉の豊玉姫。上総一ノ宮の玉前神社のご祭神が玉依姫。
同じタマサキ神社でも漢字表記が違うし、ご祭神も違う。
地元ではタマサキの本宮は姉さんを祭る中原の玉崎神社だと主張しているけれど、妹神を祭るタマサキが上総一宮の称号を得ています。

妹神の方が格が上になった理由はたぶん、妹神は成人になった赤子と結婚して神武天皇の生母となったからでしょう。
姉神様は神武から見れば祖母に当たるわけで、それよりは神武の実母の方が「天皇制」の論理の中では 格上に祭られたのではないでしょうか。

いずれにせよ神話の話。
しかも、その本来の舞台は南九州と目されています。
それがなぜ房総半島、上総で語られ、祭られている?
たぶん、海の神を尊崇する部族が黒潮に乗ってこの近辺に移住し、開拓したからでしょう。

わたしは、こちらに移住してきてサメなども初めて実物をしげしげと見る機会がありました。
サメって赤ちゃんを産むんです。胎内に赤ちゃんがいるのです。
そんな実体験が神話の背景にあると思います。
つまり サメ出産の「古事記」の記述の方が古代人の原話に近く、龍出産の「日本書記」は漢文体文書ですから、中国風の文飾がなされたと思われます。
天皇家の先祖はサメから産まれ、妹君もサメでしょうから、サメと交わって神武が生まれたという神話より、龍から産まれた方がカッコイイ。権威がある。

釣ケ崎は太東埼と一続きで、地元の民話では「太東の旦那」と称される化け物のような大きなサメが棲息していたと伝えられています。
岬の先は岩礁地帯で遭難が頻発した海域で、そこを通過する船は帆をたたんで太東の旦那に敬意を表さねば遭難したといいます。
そんな危険な岬ですから、神話上の人物が釣りをしていた岬「釣ケ崎」と命名されたのでしょう。

「物語」に由来する地名やら名所やらは全国各地地にあり、南房総では「南総里見八犬伝」にちなむ伏姫が愛犬ハチとこもった洞窟が観光名所になっておりますし、熱海の海岸には「貫一・お宮」の松があり、銅像が建っています。

釣ケ崎もそのような命名の一つと言えますが、いすみを開拓した古代人が故郷から持ち込んだ神話の一部を懐かしみ、ここで生きていこうと名付けた岬の名前だと思うとなかなか感じるところがあります。

姉姫様、妹姫様、そして子孫の神武にいたるまで、海神一族が年に一度集う上総十二社祭りの祭典会場に 2020年には世界の若者・サーファーが集まるとは神様たちもきっと思いもよらぬ出来事でしょう。



 
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部族が上陸したのは釣ヶ埼ではなく和泉浦か日在浦ではないでしょうか?