★紅花が咲き誇る長福壽寺の境内

長福寿寺
   奈良・平安時代に上総は紅花の一大産地であった

平安時代の『延喜式』という本には諸国の納入すべき物産が書かれており、上総の国からは中央政府へ税金の一種として紅花が納められていたことがわかります。

上総の国のどこかとまではわかりませんが、現在の長生郡長南町では町おこしの一環として紅花祭を開催しています。
久しぶりに暇ができたので、車で40分、花を見に、祭り会場の長福寿寺へ出かけました。

長福寿寺は通称で、お寺の看板によれば日本一長い勅語号を持つお寺だそうです。
   『三途河頭極楽東門蓮華台上阿弥陀坊大平埜山本実成院長福寿寺』
まぁ読めませんね。漢字四文字ずつを区切って読めば、何とか読めるでしょう。
  さんずがとう/ごくらくとうもん/れんげだいじょう/あみだぼう/たいへいやさん/
  ほんじつじょういん/ちょうふくじゅじ―――と読む天台宗の古刹です。

戦国時代末期、この地を治めていた長南氏が攻め滅ぼされ東北に逃れ、そこで長南の遺民たちによって紅花が栽培され、江戸時代には東北が一大産地になりました。

私的なことですが、仙台松島湾の寒風沢(さぶさわ)島に従兄が暮らしています。
亡くなった伯母は旧姓が長南で、長南姓はめずらしくないそうです。
この島の高台に、長南氏の顕彰碑があることから察すると、上総を落ちのびた長南氏は波穏やかな寒風沢島に上陸し、そこから東北各地に散ったものと思われます。

紅花の花だけを摘んで花弁を洗い、発酵させて臼でつき、団子状に丸めてから延ばして天日干しすると「紅餅」という商品の完成です。
これを日本海の千石船を使って敦賀に運び、なんだかんだで京大阪の商人に届き、紅花染めやお化粧用品や薬になりました。

紅花の先端の花だけを摘むので、別名が「末摘花」。
末摘花といえば「源氏物語」にでてくるきわめて個性的な女性が思い浮かびます。
鼻が異様に高く、ぶつぶつ穴があり、鼻先が赤い。だから末摘花なのでしょう。
ブスで琴の腕前も和歌もその文字さばきもイマイチで、落ちぶれた貧乏宮家の娘です。
しかもファッションセンスが一昔前のバブリー時代のものというヒドイ書かれ方です。

しかし、光源氏はその控えめで、ひたむきな優しい性格を愛します。
プレーボーイ光源氏もいいとこあるじゃんと思ったものです。

末摘花を知ったのは古代の海外貿易のことを調べている時で、
菅原道真の建議で遣唐使が廃止され、海外の文物の流入が止まりました。いわば鎖国です。
末摘花がまとっていたのはクロテンのショールで、それはシベリア地方の動物の毛皮です。
宮家がまだ豊かであり、海外貿易が盛んだったころの名残です。

精一杯着飾った姿に光源氏は興ざめしますが、その心根(こころね)に感じるところがあったのでしょう。
昨今のプレーボーイタレントの行状や、政府高官や政治家のウソ八百にウンザリしています。
紅花を見るたびに、末摘花を捨てなかった光源氏を思い浮かべます。


 
 
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