★深堀・瀧口神社(2)

瀧口神社
 昨年、新装なった社殿はまだ木の香も新しい。この地方特有の妻入り型神社。

瀧口神社のご祭神は豊玉彦命(トヨタマヒコノミコト)だそうです。
トヨタマヒコは海の神様である綿津見(ワタツミ)の神様の別名です。

ワタツミは海そのものの神格化であり、ワタ、ワダは古代日本語で海。
ワタノハラとは百人一首を知っている人は、海原のことだとすぐ理解できます。
ツは~の、ミは霊ですから、ワタツミで海の霊の意味になります。
御宿の岩和田という地名は、岩だらけの海の意味であり。実際、その通りです。

ワタツミは原始的な神様で、古代の船乗り、海洋交易部族の信仰が篤く、北九州、壱岐、対馬などでその神社が多い。

一方、海の神をトヨタマヒコとするとニュアンスが少し異なり、言葉を話す人格神となります。
ワタツミよりも洗練された感じがあり、海の幸、海の恵みをつかさどる海洋漁労民族の神という印象がにじみ出てきます。

瀧口神社の創建は嘉祥(カショウ)3年と言いますから、西暦では850年。平安時代からの由緒ある神社です。
住民は海の恵みに感謝し、豊玉彦命を祭ったものでしょう。

海王は海のかなた、もしくは海底にある壮大な御殿(竜宮城)の主で、海洋のすべてをつかさどる。
天皇家の系譜を語ることが主目的の古事記、日本書記神話ではストーリー展開の都合上、豊玉姫は豊玉彦の娘という位置づけになっています。
その豊玉姫の妹が玉依姫(タマヨリヒメ)で玉前(タマサキ)神社のご祭神です。

東海地区でいえば、北日在(キタビアリ)の玉前神社が玉依姫を祭っています。
創建は鎌倉時代の1223年。
北日在の漁民たちが若き玉依姫を海の幸をもたらす豊穣の女神として信仰したのでしょう。

玉前神社と言えば隣町、一宮町に鎮座する上総国一宮である玉前神社が思い浮かびます。
その祭礼を上総十二社祭りといい、一宮町のほか睦沢町、茂原市、いすみ市の玉前神社関連の神社がこぞって参加します。

ところが深堀の瀧口神社や北日在の玉前神社はこれに参加しません。
これは同じ海の神様を祭っていても行政区が違うから赤の他人、ヨソのお祭りだからです。
上総十二社祭りに参加する地域は、平安時代の荘園、一宮荘であった地域だと思われます。
旧一宮荘の地域あげての祭りが今日まで伝統として続いています。

一宮は長柄郡(現長生郡)であり、大原は夷隅郡(現いすみ市)。
同じ神様を信仰していても、氏子どうし親しくなる条件がまったくありません。

岬町の椎木・中原・和泉が夷隅郡に付け替えられたのは明治になってからで、江戸時代までは長柄郡に所属していました。
おそらく平安時代の夷隅川は今よりずっと北を流れ、夷隅川を境界とし、その北は長柄郡、南が夷隅郡と定められていたのでしょう。
それで夷隅川の北のこの地域の住民は今日でも一宮のお祭りの構成員になっています。

一方、東海地区の六社は団結し、大原はだかまつり十八社の一画を占めています。
東海地区六社は、深堀の瀧口神社、北日在の玉前神社のほかに、
   新田の『日月神社』創建1249年、
   若山の『熊野神社』。
   釈迦谷(シャカヤツ)の『天御中主神社』、この神社が一番古くて創建は天平十三年(741)。
   南日在の『大山神社』。ご祭神はもちろん山の神、オオヤマツミ。

この六地区の仲が良いのは明治の市町村合併で、六つの村が一つの東海村になったことでも示されています。(その後、大原町と合併)
この六カ村は塩田川の支流である新田川の流域に属し、ずっと昔から治山治水で協力関係にあり、新田川を流通経路として経済的にも相互依存関係にあったと思われます。

祭りが地域共同体の行事である以上、その祭神が誰であるかは問わないのが普通です。
担いでいる神輿の神様が誰なのか、知らない人の方がほとんどです。
オラホの神様、オラホの神社で相互にじゅうぶん話が通じますから。

なお、深堀、新田、若谷の三地区は江戸時代中期まで一つの内野郷(村)でした。
当時の領主の阿部氏が遺産相続の関係で内野村を三分割し、深堀、新田、若山としました。
そのなかでも深堀の瀧口神社が筆頭の位置を占め、神様にも身分差別があるんですねぇ。正一位という神様の最高位を与えられ、「郷社」の栄誉を受けていました。

地方のあまり有名ではない神社としては破格の扱いです。
その理由は?――実はよくわかりません。ともかく格が高い神社です。


 
 
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