★サネカズラの赤い実

サネカズラ
   飯縄寺の裏、雑木の中で発見。晩秋から初冬にかけて目立つ。

真っ赤な実が印象的なツタで、その実はおいしそうに見えますが、おいしくないといいます。
幕末に来た外国人にはとても珍しいツタだったようで、学名は Kadsura japonica カヅラ ジャポニカ。
「日本の葛」 と命名されました。

サネとは木の実のこと、あるいは中心、核を意味します。サネカズラは 実葛、核葛。
鎌倉第三代将軍の名前は源実朝。サネトモと読むのはご承知の通りです。
平家物語に斉藤別当実盛(サイトウ ベットウ サネモリ)という老武者が登場しますが、真盛と書く場合があります。それと同様にサネカズラを 真葛 と書く場合もあるようです。

美男葛 ビナンカズラ という別名でも知られています。
皮を傷つけると粘液が出てくるので、それをシャンプー替わりや整髪料に使ったという話です。
それじゃ 美女は使わなかったのか と突っ込んでもしょうがない。

近所の直販所で ビナンカズラ が鉢植えで売りに出されていました。
高さ50cmほどの盆栽仕立てで、かなり高価でした。
画像のように、野に行けばいくらでも見られますが、手元で育てたい人もいるのでしょう。

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    名にし負(オ)はば 逢坂山(アウサカヤマ)のさねかづら
              人に知られで くるよしもがな
                            三条右大臣(百人一首25番)

この歌の場合、サネカズラのサネを 小寝(サネ) と掛けています。
ちょっと一緒に寝たいものだ。人に知られぬように引き寄せる方法はないものか――という平安貴族の好色性丸出しの歌です。

サネの他、さまざまな技巧が施されておりますが、右大臣が特定女性を思い浮かべてこの歌を詠んだとは限りません。
あまり誠実さとか真実味が感じられませんから、俺は歌を作るのがうまいのだと周囲の人に自慢するために 即興でふざけて作った歌のような気がします。

たとえ優れた技巧を駆使した歌であっても、こんな歌が 和歌ベスト100 になるわけがありません。
藤原定家が百人一首を選んだ基準は、良い歌かどうかではなく、ある意図があって取捨選択したのだろうと推測できます。

その意図とは1番天智天皇から始まり、99番後鳥羽院、100番順徳院で終わっていることに垣間見えます。
承久の乱により後鳥羽院は壱岐島、順徳院は佐渡島に流罪となり、許されることなく島で没します。

偉大な天智天皇から始まった王朝は 新興の鎌倉武士の横暴によって 今まさに滅びようとしている。
歌の道で王朝に仕えてきた定家は 「紅旗征戎吾ガ事二非ズ」(軍事はわたしには無関係) として中立を装い、結果として恩人でもある両院を見捨てました。

両院が島で没したという報を聞いた定家は深く悔やむところがあったのでしょう。
それが百人一首撰集の動機となります。

定家は王朝で編纂された勅撰和歌集の中から百首選び、それを縦横十首ずつ並べることにより絵巻物というかタペストリーを編むことを決意します。
浮き上がってくる歌に描かれた景色は、王朝の和歌文化のパトロンであり、和歌の名手であった故後鳥羽院のサロン・水無瀬離宮をほうふつとさせるものでした。

しかもその百首は上下左右の四首、互いに「合わせ言葉・共通語句」によって結びついています。
具体的に述べましょう。特定の方法で百首を並び替えると

名にしおば――の上に位置する歌は 2春過ぎて夏来にけらし―の歌で、「来」と「山」が共通語句。
下に位置する 47八重むぐら茂れる宿の――の歌とは「人」「来」が共通。
右に位置する 66もろともにあはれと思へ――「山」「知」「人」
左に位置する 62夜をこめて鳥のそら音は――「逢坂」を共通語句としている歌です。

このように百首すべてが隣り合う歌と共通語句・合わせ言葉を持ち、しかも全体として往時の水無瀬離宮を思い起させる景色となる歌が並ぶという、空前絶後の百首選びでした。

その目的のためには、人麻呂の歌であっても最優秀歌は捨て、あしびきの山鳥の尾の――が選定されることになり、三条右大臣歌のように技巧にすぎる歌であっても採用されました。

これは1981年発行、青木書店『百人一首』(林直道著)で述べられた説で、もう35年前の話になるのですね。
まだわたしも若かった頃に読んだ本です。
最近、本箱を整理してまた見つけ、なつかしく読み返しました。

林氏は文学者でないために国文学会からは完全に無視されていますが、百人一首について氏以上の説明をした文学者を知りません。


 
 
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