★ヤマドリの尾のしだり尾の  人麻呂

ヤマドリ
    ヤマドリはキジに似ているが キジより地味で尾は長い
    いすみ市でも目撃情報がありますが、まだ出会ったことはありません。

    画像元→●


正月が近いせいか、某新聞に百人一首・柿本人麻呂の歌がのっていました。
むかし、正月には百人一首でカルタとりをしたものです。
もっとも子どもが小さいときは もっぱら 坊主めくり でしたが。

天智、持統と続く三番目の歌は、歌聖と呼ばれた柿本人麻呂。

     あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の
               長々し夜を ひとりかも寝む   柿本人麿

この歌が人麻呂歌だということにずっと違和感がありました。
なにせ 前半の五七五は すべて「長い」にかかる修飾語で、歌の本体は後半の七七だけ。
――長い夜を一人寝じゃ寂しいなぁ、あの人は今頃どうしているのだろう――

人麻呂といえば

    東の野に炎の立つ見えて かへり見すれば月かたぶきぬ 
    淡海の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに いにしへ思ほゆ                           

など秀歌はあまたあるのに あしひきの――が最優秀歌に選ばれたのが不審でした。
平明な風景描写の中にそっと自分の心情をひそませる――そんな人麻呂の歌風とは異なる技巧が勝った歌だという印象がありました。

この歌は本当に人麻呂の歌なのかという疑問は万葉集を読むとさらに深まります。

  2802 思へども 思ひもかねつ あしひきの 山鳥の尾の 長きこの夜を

この歌に引き続き、「ある本に歌いていわく」 として次の歌が掲載されています。

     あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を ひとりかも寝む

これは百人一首の人麻呂歌と同一です。
万葉集では あしひきの--の歌は詠み人知らず、作者不詳の歌でした。
定家がこの歌を人麻呂歌であるとしたは理由は何も語られていません。

さて 「一人寝」をテーマにした歌を詠むときに なぜヤマドリが登場するのでしょうか。
単にヤマドリの尾が長いことから、一人寝は時間がすごく長く感じられる そのことを導き出すために登場したのでしょうか。

ヤマドリは縄張り意識がとても強い鳥で、オスだろうとメスだろうと縄張りに侵入すると猛然と闘い追い払うのだそうです。
つまり単独行動を好む鳥で、オスメスが接触するのは繁殖期に限られ、それもその一瞬だけであり、すぐまた別行動になるのだとか。

昔の人はその生態を知っていたのかどうか、オスメスは夜になると谷を隔てて独り寂しく寝ると信じられてきました。
寂しく一人寝をするとき、まるでヤマドリのようだな と苦笑するのが当時の常識でした。

したがってこの歌は、まるでヤマドリのように一人寂しく寝るという意味を含んでいます。
前半の五七五は序詞で、後半の七七だけが本体だという解釈は誤りだったわけです。

百人一首第3番歌は、人麻呂歌かどうかは疑問ながら、全体として二重三重に意味を込め技巧を凝らした歌でした。
万葉時代の歌であっても新古今の時代だからこそ、定家によってその技巧が再評価されたものかと思われます。


 
 
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