★岬町戦跡ツアーマップ

ルートマップ
    緑色部分①がかつて存在した飛行場だった。200m×950mの滑走路。

地元の「9条の会岬町」の皆さんと岬町の戦争遺跡跡をフィールドワークすることになりました。その資料の一部です。
以下、太文字遺跡を実際に見学して巡ります。

 ①海軍太東飛行場跡地  厚木航空隊所属海軍施設部隊800名。200m×950m
 ②トロッコ軌道跡地   飛行場盛土用土砂運搬
 ③施設部隊兵舎跡地  太東小学校から移転。
 ④海軍技術研究所太東実験場跡地  高性能電波探信儀(電探:レーダー)研究試作
 ⑤陸軍:太東砲台跡地  朝鮮羅津要塞重砲兵連隊。和泉浦方面射程。現況崩壊。
                   長者小に部隊碑。
 ⑥太東飛行場格納庫跡地 民有地 山腹に掘った洞窟残存。
 ⑦海軍太東電探基地跡地 1日600人延10万人の突貫工事。
        大型1基、小型4基。機銃座2基。
        海軍大臣嶋田繁太郎大将視察1944.10
        戦後米軍により爆破。後に灯台、崩壊。現在二代目の灯台。                    
 〇門原格納庫跡地  レオ近く。ラーメン屋隣り空き地奥の切り立った山腹に掘った洞窟。。
 〇水上飛行艇離着水地  夷隅川河口北ラグーン。当時の水面はもう少し広かった。

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◎陸軍吉附砲台跡地(太東漁港脇)
         九十九里浜を一望する地下壕遺構3か所残存。
         九十九里浜南部を東金砲台と共に守備。

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参考までに岬町周辺の戦争遺跡を列挙すると
  ※大原漁港:特攻人間魚雷“回天”基地跡。残存。
   三門:砂鉄採海岸。砂鉄工場跡地。トロッコ跡地。残存。
   発坂峠:陸軍塹壕跡地。残存。
 ※行川:特攻ジェット機“桜花”基地跡。民有地。残存。
 ※大多喜高校:陸軍飛行場。痕跡なし。
 ※一宮:米国本土攻撃風船爆弾基地跡。記念碑あり。
 ※鵜原:特攻モーターボート“震洋”基地跡。残存。


状況からは敗戦は目に見えているのに降参しない日本に対して、米軍は本土上陸地上戦を計画していました。その予定日は 1946.03.01

その前に、原爆をさらに数発落とし、艦砲射撃とじゅうたん爆撃を徹底して焼土とし、秋の収穫を全滅させる枯葉剤の散布が計画されていました。
    (後にベトナム戦争で米軍は原爆を除くこれらの全作戦を実施しました)
九十九里浜と湘南茅ヶ崎を上陸地点とし、東西から東京を挟撃する作戦でした。

日本軍もその計画をうすうすキャッチしており、外房の中央に位置する岬町があたかも要塞都市のようになり、様々な施設が建設されました。

しかし、実際には艦船・飛行機はなし。武器弾薬、ガソリンも重油もなく、食料さえ乏しい中で米軍の徹底した攻撃を受けたならば、支え切れたかどうか。
硫黄島や沖縄のように、あるいは広島・長崎を上回る人類史上最悪の歴史が刻まれたに違いありません。

中東やシリアでは、武力で決着をつけようとして混乱し、今日もまた犠牲者が多数出ていることでしょう。
武力でカタをつけるという人類の愚かな思想や行動とはいち早くオサラバした日本の姿をいつまでも保つのがわたしたちの責務だと思います。


 
 
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