★カジメが軍需物資だったころ

カジメ2
    イセエビ漁の網にはカジメが多数からみつく。
          カジメを乾燥させ、その焼却灰が火薬の原料となる


イセエビ漁があった早朝には、次の漁のために網についた雑物をはずす作業があり、わたしたちも援漁と称してその作業を手伝っています。
カジメは、根がからみつくとはずすのが大変で、厄介者の代表格です

しかし、イセエビやサザエ、アワビなどはカジメを食べて育ち、いすみ市沖はカジメの林になっているからこそ 良い漁場になっているのです。
カジメなんかなければ良いとは言えません。
大きなものは3~6mにもなるそうです。

近代社会以前は、流れ着いたカジメを肥料として使っていたという記録があります。
わたしもマネして、時々少々いただいて 畑の肥料にしようと持ち帰る時があります。
ヨード風呂の材料になるという話は以前アップしました。→こちら

ヨードチンキが学校や家庭から追放され、カジメから作るヨードは見かけなくなりました。
今はもう、原発近くの住民に配られるヨード剤しか、ヨードの名を聞くことはなくなりました。

そのカジメが軍需物資としてもてはやされた時代がありました。
地元の年輩の方々には良く知られた話です。少し調べてまとめてみました。

1941(昭和16)年8月、千葉県漁業組合連合会は各漁業組合長に「カジメ採集ニ関スル件」を通知します。
「決死的御協力ニ依リ其責任数量確保ニ萬全ヲ期シ・・・緊迫セル時局下ニ於ケル国策遂行ニ協力」せよとし、各漁協ごとに採集するカジメの責任数量を割り当てました。

また、県経済部長からは「当分の間カジメの採取、集荷に専念」せよとの指示がありました。
これはアワビやイセエビ漁は自粛せよという意味です。

さらに軍当局により乾燥したカジメ・アラメは陸海軍指定工場であった昭和電工に出荷せよという命令が出されます。

昭和電工は、千葉県内に乾燥カジメ・アラメを焼いた海藻灰からヨード・ヨードカリ・塩化カリを製造する館山工場と、ヨード・塩化カリ・カリ肥料・食塩を製造する興津工場をもっていました。
塩化カリは弾薬の原料となる硝石(硝酸カリ)の代用素材になります
こうして軍と結びついた昭和電工は日本有数の企業に成長していきました。

1943年の新聞報道には「カリを多量に含む海藻が軍需資源として極めて重要である…全国の漁民を総動員して海藻採取の大運動を」とあり、

1944年には「ゼアリミン火薬、光学兵器レンズ等になる加里原料、アラメ・カジメ・ホンダワラ等の海藻は、決戦下の化学兵器だ・・・他の海藻採取を中止して一斉にこの『兵器海藻』採取に全力を」との記事が載ります。

戦時下において、いすみ市や房総の磯根漁業は海藻採集が中心となり、アワビ採りを一切禁止すると申し合わせ、もしアワビを採った場合には厳しく処置したといいます。
いやな時代でした。

房総のカジメを使ったヨード産業は明治20年代に、勝浦出身の森為吉からはじまります。
当時、硝石は輸入しておりましたから、国産硝石の生産は国策として奨励され、日露戦争、第1次世界大戦、満州事変、太平洋戦争と大きな戦争が起きるたびに会社は発展してきました。
森一族は繁栄し、森コンツェルン(財閥)を形成し、政財界に大きな発言力を持つようになります。
(今日でも千葉県選出の国会議員は森氏です。)

あらためて考えてみれば、カジメ刈りが強制される時代より、イセエビ漁の邪魔者として見捨てられる時代の方が何倍も良い時代であることは明らかです。

いやな時代がいすみ市にもあったことを忘れずにいたいものです。
そんな時代が美しい時代だったと美化することは 許されることではありません。

                   参考資料『大原町史』、「安房文化遺産フォーラム」 


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