★桐の実がなる気節

桐
   鈴なりに実ができ始めた。晩秋になるにつれて茶色の実となる

桐ダンス、桐の箱、桐の下駄でなじみだった桐材も最近はとんと見かけなくなりました。
昔は女の子が生まれると桐の苗木を植え、嫁入りのときにその桐でタンスを作ったという話を聞いたことがあります。
そんな風習もなくなり、庭木の桐を見かけることはほとんどありませんが、岬町では時々見かけることができます。

4月下旬に咲く花はうっかり画像を取り損ねました。
7月下旬に種ができ始め、8月中旬には画像のようにずいぶん目立つようになりました。
わたしは桐紋(五三桐、七五桐)の上部の文様は桐の種だと思い込んでいましたが、本当は花三つ、花五つ、花七つをデザインしたものだそうです。

もう一つ勘違いしていたのは、桐が花札では12月の花ですから、桐の花は年末、西暦では1月ごろに咲く――と思い込んでいました。
花札はシャレで12月は桐になったようです。
「ピンからキリまで」とは「最初から最後まで」という意味ですから、花札の最後はキリ=桐でおさめました。

桐の花など見たこともなく、江戸時代のシャレにも思い至らず、12月の花だと思い込んでいましたが、岬町に来て初めてその勘違いにきづきました。

桐紋と言えば豊臣秀吉の家紋として有名ですが、教科書に載っている織田信長の肖像画も良く見ると信長は桐紋をつけています。
織田家の家紋は「木瓜 モッコウ」のはずなのに変ですね。
       信長
       織田信長肖像画(原本:室町時代 長興寺所蔵) 画像元→●

後鳥羽天皇の頃から菊花が天皇家の紋になり、桐紋は皇室の第二の紋になりました。
後醍醐天皇は、建武の新政の初期、足利尊氏に感謝して桐紋の使用を許可しました。
以後、足利氏は二引両が家紋ですが、権威の象徴として桐紋を利用しました。
信長が桐紋の裃をつけているのは 足利義昭を助けて将軍職に就けた際に、義昭が信長に桐紋の使用を許可したからでしょう。感謝して使えという意味です。

秀吉がいつから桐紋を使い始めたかは諸説あります。

江戸時代になると徳川氏の三つ葉葵紋を徳川氏以外は勝手に使えませんが、菊紋、桐紋の使用は制限が無くなりました。
明治になって菊紋の庶民使用は禁じられましたが、桐紋はさほどうるさく制限されなかったようです。
だから庶民なのに桐紋の家も少なくありません。

明治以後、菊紋は皇室、桐紋は国家機関のマークとして好んで使用されました。
国鉄(JRの前身)のマークは「桐に動輪」。
筑波大学のマークは桐。その前身・東京高等師範のマークをそのまま使用しています。
500円玉も桐紋ですね。

安倍首相が記者会見する時の演台にも桐紋がついています。
偉い人が勲章をもらう時があります。格式が高いのは菊花ですが、桐花勲章はややレベルが下がります。

人間はあれこれと桐の花に思いを込めてきました。
桐の花にとってはそれは無意味、無関係。
しかし、日本文化に多大な影響を残している桐なのに 菊や桜と比べるとあまりに地味。
もう少し注目されても良い樹木でしょう。


 
 
関連記事
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

No title

花を見たのが初めてですから、種が収穫できるかどうか。
種が収穫できたら、ブログにアップしますから、その時にまたご連絡ください。

羨ましい限りです❗

はじめまして、桐の木大好き人間としては目の前で桐の四季を見られて羨ましい限りです❗厚かましいお願いなんなですが種が出来て熟し落ちたら譲って頂けないでしょうか?是非、種から育ててみたいと思っています。どうかお願いします。