★天然記念物ヒメハルゼミの声を聴きに行く

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     いすみ鉄道・上総中川駅下車 妙泉寺山門

ヒメハルゼミはいすみ市の隣町の茂原では国指定の天然記念物ですから、小学生が熱心に保護・観察活動をしています。
西隣の大多喜町では麻面原高原のヒメハルゼミの鳴き声が環境庁選定の「日本の残したい音風景100選」の地になっています。

いすみ市でも妙泉寺のヒメハルゼミが市指定の天然記念物になっています。
ところが、何のアクションもしていないので、ほとんど誰も知りません。

太東埼ではもう朝夕になると、カナカナ…とヒグラシゼミが鳴き始めました。
ヒメハルゼミもヒグラシ同様、朝夕に鳴きますので、いつ出かけても聞こえるというわけではありません。
しかもハルゼミの名前のとおり、夏になればもう消えてしまいます。
妙泉寺の場合、6月下旬から鳴き始め、7月20日ごろが限界でしょうか。
16:30~17:30ごろが良いと思います。

ヒグラシに姿かたちが似たセミで、大きさはヒグラシの2/3程度のちいさなセミです。
1匹鳴き出すと全員が一斉に鳴き出すという変わった習性があります。
目をこらしても なかなか発見できません。
その鳴き声は アンテナがはずれたTVのノイズような 「騒音」 に近いものです。

今から71年前、1944年7月10日、墨田区本所にあった外手(ソトデ)国民学校の6年生女子児童50名がこの妙泉寺に到着しました。
サイパン陥落の後、都市部の児童の集団疎開が始まり、本所地区の各学校は千葉県が割り当てられ、外出の6年女子児童には妙泉寺が指定されました。

朝早く両国駅を立ち、蘇我駅で外房線に乗り換え、大原駅で木原線に乗り換え、上総中川駅下車の長い旅でした。
妙泉寺に着いた彼女たちを大歓迎で迎えたのがヒメハルゼミの大合唱であったはずです。
墨田区本所界隈(カイワイ)とのあまりに違う自然環境に驚いたことでしょう。

やがて年を越すと、卒業式は学校に戻って行うことが決まり 3月になると妙泉寺に別れを告げ、父母の待つ墨田区に帰りました。やっぱり自宅で寝るのが一番良いと思ったことでしょう。
そして3月10日の未明、B29の東京大空襲となります。およそ10万人が一晩で焼殺されるという未曽有の被害が出ました。
墨田に戻っていた彼女たちもその多くが犠牲になりました。

戦争では大量殺人の犯人が英雄として称えられます。
東京大空襲作戦の責任者はカーチス ルメイ少将。後の大将。

蛇足ですが、敵対した日米は、戦後は同盟関係になります。
1964年に当時の佐藤栄作首相は 「鬼畜ルメイ」 に勲一等旭日章を贈りました。
日米友好に尽力したからだそうです。
ルメイ氏自身も叙勲には当惑したでしょうね。昭和天皇は勲章親授式に出なかったそうです。

愚かな人間の行為とそれに伴う悲喜劇―――そんなこととは無関係に今年もヒメハルゼミは鳴き続けていました。
わたしたちが大自然に癒され励まされるのは、いつも変わらぬ健気(ケナゲ)な姿に理想を見るからなのでしょう。


 
 
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