★大原町、平和の鐘

平和の鐘
   大原漁港の近く、大聖寺隣の大原公園にある鐘楼の鐘が“平和の鐘”

1951年(昭和26)、米国視察中の千葉大学園芸学部長の武田憲治氏がミネソタ州ダルース市を表敬訪問した際、市長室に展示してあった品物に目が釘付けになりました。
それはどう見ても日本のお寺の釣鐘です。

ダルース市は北米の五大湖であるスペリオル湖畔の港湾都市であり、近くにあるメサビ鉄山の積出港でもあります。
風光明媚な避暑地でもあるダルースになぜ日本の釣り鐘が飾られているのか?

聞けば、終戦時に川崎の製鉄所のスクラップ置き場に放置されていたから、日本進駐の記念、つまり戦利品として持ち帰ったものだとか。

帰国後、武田氏のこのエピソードは話題になり、梵鐘の素性が調べ上げられました。
その結果、大原町上寄瀬地区にあった長栄寺(現、廃寺)の釣鐘で、1686年製作の貴重な文化財と判明しました。
戦争末期の昭和19年に、金属資源不足を補うために軍事物資製造用として供出されたもので、
当時は、文化財だろうが貴重品だろうが、みんな集めて鋳つぶしていました。
大原町で回収された金属類は川崎の工場に送られ、鋳つぶす順番待ちの倉庫で米軍に発見されて
ダルース市に運ばれたものでした。

その後、この釣鐘の日本返還を巡って日米関係者の度重なる努力が実り、
1954年(昭和29)5月2日、梵鐘は再び太平洋を渡って大原町へ返還されました。
この返還式の様子は、今でも大原の人々の語り草になっている盛大な式典だったようです。

梵鐘はアメリカ海兵隊の上陸用舟艇で大原漁港に運ばれて上陸し、紅白幕で飾られて市街を巡幸しました。
それはまるでお祭りのようで、2万人の観衆の中、椎児行列を先頭に、祭唄がひっきりなしに唄われる巡幸だったそうです。
返還式典には当時の葉県知事、米軍横須賀基地司令官や米国大使館関係者などが参列。
土屋幸正大原町長によって、日米親善平和の鐘と名付けられました
それが画像の梵鐘です。

その後、大原町(いすみ市)とダルース市は姉妹都市として交流を深め、
ダルース市には この梵鐘のレプリカが贈られました。

9.11米国同時多発テロ犠牲者を悼む式典があった時、大原・ダルースで同時刻にこの二つの釣り鐘が鎮魂と平和を祈念して衝かれたと聞いています。



 
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