★プロレタリア作家 宮本百合子の歌碑(長者町)

宮本百合子歌碑

左の大きな碑: うららかな春は  きびしい冬のあとに来る
                 可愛い蕗のとうは  霜の下で用意された
                                     宮本百合子


右の歌碑三首: ひろびろと 夷隅の川の 海に入る 岬のかなた 虹立ちて居り
           よしきりの ここだ来鳴ける 河口に かかる木橋は 古りにけり
           虹かかる 岬のはての 叢松は 小さく群れて 目にさやかなり


JR外房線長者駅から江場土信号に向かう道、長者小学校を過ぎた左側に昨年12月に新しく宮本百合子の歌碑が建てられました。

宮本百合子、1899年(明治32)- 1951年(昭和26)
まだ女学生だった17 歳の時に『貧しき人々の群』で文壇に鮮烈デビュー。
天才少女の出現として注目を集め,その後もプロレタリア文学の作家,評論家,社会運動のリーダーとして活躍しました。
主な作品は『伸子』『道標』『風知草』『播州平野』など。

百合子はいすみ市に滞在したことがあります。
妹の寿江子が江場土(三軒屋)に静養に来ていた昭和20 年の5月10 日から19 日まで
夷隅川近くの哲学者・古在由重氏所有の貸別荘で過ごしました。
三部屋ありましたが、かなりのボロ小屋で畳の代りにゴザ。障子の代りにムシロがかかっていたそうです。
しかし、二人はここでゆっくりし、心身ともやすらいだようです。

その時のいすみ市の様子は、獄中の夫(宮本顕治――後の共産党委員長)にあてた手紙の中に描写されており,短歌が記されております。それが冒頭の小さい歌碑三首。

ネット上に『青空文庫』という無料サイトがあり、百合子の 『 獄中への手紙』 も公開されています。一九四五年五月十日の手紙がその部分ですから、興味ある人はご覧ください。
百合子の人柄がよく表れている手紙です。

百合子の二度目の長者町訪問は、自身の健康悪化に伴う静養のためでした。
昭和22 年8月8日~ 26 日,長者町の小松旅館(今のスーパー源氏から長者ブックの所)に滞在します。
しかしただ静養だけしていたわけではなく、小説『道標』の執筆をここで続けてました。
その 『道標』 にも当時のいすみ市が描写されているそうです。

その後、小康を得て東京に戻り活動に復帰しますが、再び健康が悪化し、昭和26年に亡くなります。52歳のことでした。


 
 
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