太東海軍航空基地跡(2)

飛行場地理院和泉

戦争末期、本土決戦に備えていすみ市に海軍の飛行場が建設されました。
現在は住宅地や畑になっており、そこがかつて飛行場だったとは知らぬ人が多いことでしょう。
国道128号がその中央を分断しています。

かつて河川敷であったので地盤は低湿地でした。
太東埼の山を切り崩して大量の土砂石を確保し、地盤をかさあげて長さ1000mの滑走路を持つ飛行場が、800人の兵による人力でわずか2年で完成しました。

飛行場があるからには管制施設もあったことでしょうが、それがどこにあったかは知られていません。
地図を眺めれば南西(左下)の一区画にあったようにも想像できますが。

格納庫兵舎

駐在する飛行機は敵機の攻撃を避けるため山腹に穴を掘って格納庫としました。
飛行場と格納庫まではけっこうな距離があります。
舗装されていない道を人力で押して引っ張って移動したようです。
もっとも、飛行場が完成してから終戦まで3か月。その間にこの飛行場を利用した友軍機はたった3機だったそうですから、この格納庫も実際に使われたことがあったのかどうか。
終戦後、再利用するアテもなく放置され、ゴミ捨て場と化し、雑草が生い茂り、今やその場所さえおぼつかなくなりました。
地図で示した場所は推定場所です。

飛行場とその付帯設備の建設に従事したのは神奈川県厚木飛行場から赴任した部隊800人。
はじめは太東小学校とその付近に駐屯していましたが、作業の能率化のために風呂場・炊事場を持つ兵舎を新設しました、
わたしがいすみ市に移住した頃は、風呂場だか便槽だか、コンクリ敷地跡がまだありました。
現在ではその周辺に太陽光パネルが設置され、あるいは別荘地に整備されたことにともない、そのコンクリ残骸も撤去されてしまい、そこが兵舎跡と推察する手立てはもうありません。

地図をみると、兵舎跡と飛行場跡を直線で結ぶ道路があることに気付きます。
この直線道路がトロッコの軌道跡です。
太東埼の山腹を切り崩した土砂石を両天秤かモッコに釣り下げてトロッコまで運んだと推測されます。

         トンネル


土砂を確保するために切り崩した山腹には2本のトンネルがあります。
ここはかなりしっかりした防空壕で、実際には海軍の作戦室・指揮所として利用されたのではないかと思っています。
もちろん、軍事は機密で民間人が知る由もなく、秘密のまま終戦になりトンネルだけが残りました。
民間の敷地内にあるため、保存状態は比較的良いと言えましょう。

さて問題は、滑走路1本の飛行場を何のためにここに建設したかです。
軍は茨城県にもこの時期に1本の滑走路の飛行場を建設しています。現在の茨城空港であり、自衛隊の百里基地です。
同じ一本の滑走路でも敷地面積と付帯設備はかなり違い、常駐部隊がおりました。
1945年8月15日。
終戦のラジオ放送があったにもかかわらず、最後の特攻隊がこの基地から飛び立ち、若い命は海の藻屑と消えました。
終戦を終戦と認めない頑固な指揮官からの命令だったのでしょう。

太東基地の場合、常駐部隊はいなかった。だからここから特攻機は発進しませんでした。
特攻機の発進基地はいすみ市のやや内陸の行川(ナメカワ)に桜花の基地がありましたから、太東基地は特攻を任務とする基地ではありません。

では何を任務として建設された海軍の飛行場だったのでしょうか。
それは太東岬に設置した海軍自慢の最新鋭レーダー基地を守るためだった違いありません。

                         (次週 金曜につづく)


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