★上総広常ゆかりの東漸寺(トウゼンジ)

駕籠
          皇女和宮の駕籠といわれているが

一宮町の城山公園の西、谷をへだてて三島山東漸寺があります。
お寺のHPによれば、――本尊は波切不動明王だが秘仏の為 ご開帳は禁ぜられている。
開基は東漸寺殿佛肝悟心大居士〔俗名:平広常(たいらのひろつね)〕――とあります。
このお寺の開基は平広常、つまり上総(カズサ)権介(ゴンノスケ)広常が開いたお寺だとしており、高さ50cmほどのご位牌もあるそうです。

広常は源平の時代に房総半島の最有力者で、頼朝に加勢し、頼朝が天下を取ることに貢献しましたが、梶原源太景時の讒言で誅殺された悲劇の武将です。
その生涯の実態はほとんど霧の中。わからないことだらけです。
このご位牌も鎌倉前期の物である確証はありません。

東漸寺は元からこの場所にあったわけではなく、広常居城跡と目される高藤山城の北東にあった東漸寺谷(トウゼンジヤツ)から1612年に移転したものです。
元々は密教系寺院であったものが、移転に伴い曹洞宗に変わりました。
お寺の宗旨が変わることはよくあることです。
さらに1829年には火災で全山焼失してしまいますから、古い話のことはご住職様でもよく承知していないのが実情です。

東漸寺にある広常の位牌の戒名「東漸寺殿佛肝悟心大居士」という戒名を見てみると 
○○院殿でもなく、○○院でもなく東漸寺殿であることが気になります。
密教である天台・真言の位牌の書き方、禅宗である曹洞宗の通常の記載法とは異なりますが、どうなのでしょうか。
佛肝悟心という部分も気になります。どう考えても房総武士団の棟梁であった広常の戒名とは思えません。
東漸寺初代住職の戒名ならばすんなり納得できるのですが、そうすると広常の位牌だという伝承とは矛盾してしまいます。

いすみ市布施に伝わる広常の戒名は「総見院殿観寶廣恆大居士」で、上総の豪族であったことから「総」の文字、広常という名から、「廣恆」の文字が採用されており、広常の戒名として納得がいきます。
ともあれ、東漸寺が広常と関係深い寺院であることは確かであろうとしか現時点では言えません。

話は変わりますが、東漸寺には寺宝として2挺の古い駕籠が保存されています。
そのうちの1挺、画像の女性用と思われる小型の駕籠が皇女和宮が京の都から江戸に嫁ぐ時の駕籠と認定され、一宮町の文化財に指定されています。
しかし、年代物とはいえずいぶん質素でおんぼろですね。

和宮降嫁の際の京都・江戸の花嫁道中の総指揮をとったのが当時の一宮藩1万3千石の当主である加納久徴(カノウ ヒサアキラ)でした。
なにせ2万人の大行列で26日間の長旅であったから、その苦労は並大抵のものではなかったことでしょう。
その苦労に報いるための褒美の一つとして和宮の駕籠が加納氏に渡されたそうです。

しかしご住職の話によれば、本当に和宮降嫁の駕籠かどうか、最近、疑問が浮上し、場合によっては文化財指定が取り消されるかもしれないと心許ない状況のようです。

和宮の江戸城での義理の母に当たるのが、天璋院篤姫でした。
篤姫輿入れの際の豪華な駕籠がアメリカのスミソニアン博物館に保存されています。(下の画像)
薩摩藩の財力を傾けた篤姫の豪華な駕籠ですが、公武合体という幕府の存亡をかけた婚姻である和宮の駕籠もそれに負けずに豪華であったろうと思われます。
その駕籠が東漸寺保存の駕籠である――疑問が呈されるのは無理もない話です。

       atuhime.jpg
               天璋院篤姫の駕籠

  
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