★飯縄寺こぼれ話(4)波の伊八観賞の手引き、その2

      神奈川沖裏波
   葛飾北斎 『神奈川沖波裏』 英語で Hokusai's Great Wave

北斎の最高傑作の一つで、世界的に有名な『神奈川沖波裏』が“波の伊八“こと武志伊八郎信由(タケシ イハチロウ ノブヨシ。1751-1824)の作品の構図に似ていると某新聞に載ってから10余年がたち、そのことはいすみ市ではもう常識のようになりました。

その作品は天台宗行元寺書院の欄間にある『波に宝珠』のことであり、躍動する波の一瞬を切り取って彫刻にした構図に確かに良く似ています。
      行元寺
                   画像元→行元寺HP 

北斎は左の波二つを巨大化し、中央の宝珠を遠景の富士山に置き換え、右下の小さな波のうねりを荷物と客が乗った押送船(オショクリブネ)に置き換えて劇的な効果を高めました。

京浜急行電鉄の横浜駅の東京寄りに「神奈川」という小さな駅があり、近くのお寺で幕末に神奈川条約が締結されました。その沖でこのような高波が生ずることはまずないし、富士の見え方が不自然です。

浦賀・木更津航路は古代から東海道の一部として利用されおり、押送船が頻繁に行き来しておりましたから、実際には浦賀沖の図柄であろうとの指摘があります。
しかし、浦賀沖でも木更津沖からの構図だとしても、富士があまりに遠景に過ぎます。
江戸湾内部であるためにこのような高波を見ることはありませんし、海がこんなにシケていたら船が出るわけがありません。

この浮世絵は東海道五十三次の4番目の宿である神奈川の名を借りたフィクション。
想像上の構図だと断定して良いでしょう。
北斎が描きたかった絵は流動し、激しく変化する大波だった。
その表現の場として著名な「神奈川沖」が看板として選ばれたわけです。

北斎は永年、波の表現に悩み、いくつかの作品を発表していますが、いずれも満足するものではなかったのでしょう。
Kanagawa-oki_Honmoku_no_zu.jpgOshiokuri_Hato_Tsusen_no_Zu.jpg
 画像左:1803年『賀奈川沖本杢之図』 画像右:1805年おしおくりはとうつうせんのづ』
    画像元→ウィキ

このような凡庸な波しか描けなかった北斎が1831年に世界的な名画を発表するきっかけとなったのは房総旅行だったと思われます。
当時、北斎の絵の師匠である堤等琳(ツツミ トウリン)は飯縄寺の天井画を描いており、兄弟弟子の五楽院等随(ゴラクイン トウズイ)は行元寺の書院の戸襖絵「白鷹と老梅」を描いていました。
北斎の房総旅行の時期は確定しておりませんが、師匠・等琳の作品や兄弟弟子・等随の作品を見に出かけた北斎はその二つの寺で、伊八の彫刻と出会い衝撃を受け、納得し、創作意欲をかきたてられたに違いありません。
いすみ市沖からは押送船はでませんが、漁師の船は出ます。遠景に小さな富士を眺めることができます。そして想像を絶する大波が押し寄せます。
江戸湾とは全く異なった外房の大波を見て、構図の上では行元寺の『波に宝珠』、細部においては飯縄寺の『波に飛龍』に影響を受けたのでした。

      波3 
              飯縄寺『波と飛龍』部分

波が崩れ落ちるその瞬間、それはまるで悪魔のかぎ爪のようになる――その表現が『神奈川沖波裏』で大胆に採用されたのでした。
『波に飛龍』なくしては『神奈川沖波裏』もなかったと言って良いでしょう。
若い頃の北斎の波の表現には全くなかった新しい表現様式の誕生でした。

江戸時代末期、鎖国を解いた日本から様々な文物が欧米に輸出されます。その梱包材料、クッション材として大量に流布していた浮世絵も使われることもありました。
その浮世絵はヨーロッパにはない表現様式として衝撃をあたえます。
ジャポニズムが時代の最先端となり、その影響を受けた画家はマネ、ロートレック、ドガ、ルノワール、モネ、ゴッホ、ゴーギャン、クリムトなど枚挙にいとまがありません。
ヨーロッパ絵画で彼らが日本で特に人気があるのは当然なのです。多かれ少なかれジャポニズムの影響があるのですから。
音楽や彫刻の分野にも影響を与えました。

Debussy_-_La_Mer_-_The_great_wave_of_Kanaga_from_Hokusai.jpg彫刻・波

画像左はドビュッシーの交響詩『海』の楽譜の表紙(1905)で、ドビッシー自身がこのデザインを指定したそうで、『神奈川沖浪裏』の一部であることは一目瞭然。
穏やかで静かな海と荒れ狂う激しい海を音楽で表現したドビュッシーの脳裏には、嵐の海は北斎が描いたように表現したいという思いがあったのでしょう。
そのポイントは言うまでもなく繰り返す大波と崩れる悪魔の爪のような波頭です。画像元→ウィキ

画像右は静岡県立博物館蔵、カミーユ・クローデル<波> オニックス石
まるで大波でサーフィンを楽しむように三人の女神が遊んでいます。
この作品が『神奈川沖波裏』の影響を受けていることも一目瞭然。
彼女はロダンの弟子で恋人であった。弟ポールは駐日大使を務めたといいます。
           画像元・静岡県立博物館

世界の芸術界に大きな影響を与えた“大波”の原型が外房の田舎ともいえるいすみ市にあったなんて、江戸時代の“地方の底力”の偉大さをつくづくと感じます。



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