★飯縄寺こぼれ話(3)波の伊八観賞の手引き、その1

波1
      飯縄寺内陣を区切る欄間に飛龍の彫刻。その波の部分。

江戸時代、文化文政のころ、「関東に行ったら波を彫るな」と全国の彫刻師に言わしめたのが鴨川出身の彫刻師、“波の伊八”こと武志伊八郎信由(タケシ イハチロウ ノブヨシ。1751-1824)。

地元の飯縄寺には巨大な1枚板に彫られた伊八の“天狗と牛若丸”があり、観光客は“すごいね”と感心し、波の彫刻=飛龍の方はチラッと見て帰る人が多いのは残念なことです。

伊八の波は、画像のように海がダイナミックに大きくうねり、波がググッと立ち上がり、波頭が崩れ落ちるその瞬間を見事にとらえています。
そのリアルさは高速度撮影で波をとらえると、彫刻のようになるそうですから伊八の観察力はたいしたものです。
伊八は波の実相をとらえるために馬に乗り、海に乗り入れて観察を続けたと伝えられています。
観賞のポイントの第一は流動的な波の変化を一瞬に切り取った点にあります。
それをコンパクトな空間の中に掘り込むのですから、当然のことながら複数の時間が1枚の板に掘り込まれています。
多重な時刻を1枚の絵にするという思想は後にピカソの絵に影響を与えたのですが、その点は別の話としましょう。

外房の海は波が荒く、多くは遊泳禁止となっていますが、そこがサファーに愛され、近くの海岸では毎年、サーフィンの全国大会が開かれています。
しかしシケると波高が6~7mに達しますから漁師さんはじっと我慢していなければなりません。
そんな時、昔の人は龍神が荒れ狂っていると考えたのでしょうか。
飯縄寺の欄間彫刻・飛龍はそんな彫刻です。
雷光が闇を引き裂き、雷鳴が地をゆるがすような爆音が聞こえてきませんか。
観賞の第二ポイントは、凶暴な大自然を支配する偉大な龍神、すなわち飯縄権現様に対する信仰をそこに読み取ることです。

第三のポイントは伊八が細部にも細心の注意を払って波を彫り込んだ点を理解することです。
上記飛龍の波の一部のアップ画像がありました。    画像元➔●
波3
    木目を上手に利用し、波の表・裏まで彫り込んでいます。
波頭がいくつもに分かれ崩れるその一瞬が、まるで悪魔の指先のように見えませんか。
それは波の上を舞う龍神の広げた脚爪とよく似て彫り込まれています。
悪魔のような波――葛飾北斎が衝撃を受けたのがまさにこの波の表現でした。
波の先端が本体と切り離されて丸く激しいシヅクとなる様が超絶技巧で掘り出されていることに注目です。
伊八には波頭が崩れる様は、龍神が獲物をゲットする姿と重なったのだろうと思います。

細部を見れば驚くほどリアルであるのに、全体として見ると華麗な装飾性が浮かび上がってくる作品になっているのはさすがで
大胆な構図と物語性、そして細部にわたる丁寧な配慮―――波を彫らせたら伊八の右に出るものはいないと称された所以(ユエン)です。

わたしは寺院を拝観する時に、懐中電灯と双眼鏡を持参することがあります。
特に法隆寺の仏様や宝物を細部にわたりしげしげと観察・観賞するためには必需品だった経験からです。
飯縄寺の場合、さほど暗い空間ではありません。飛龍を拝観する際には双眼鏡を持参すると、伊八のこだわりを共有し、共感することができると思います。



 
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