★新春を待つ“茅の輪”

茅の輪
         地元の中原玉崎神社の“茅の輪“

茅の輪は、“ちのわ”と読みます。
文字通りイネ科の雑草、茅を編んで丸い輪を作ります。
茅とはチガヤ、イネ、マコモ、ススキ、アシなどを指し、古代においては神聖な植物とされ、その地方で用意できる材料で編んでいます。
輪になったしめ縄と考えれば神聖な装置だと理解できるでしょう。
輪ですから始まりも終わりもなく、永遠を意味しています。

茅の輪を三度くぐり抜けることで身の汚れを落とし、清らかな心身で新年を迎えるのですから、本来は大晦日の行事ですが、新年になってからでも遅くはなく、茅の輪をくぐってから神様にお参りするように参道にしつらえてあります。

8世紀初頭の『備後国風土記』にある物語が茅の輪の始まりとされています。
―――ムトウの神様が北国にいた時、南の国の美女を娶るために旅をしている途中、日が暮れた。大きな家があり、一晩の宿を頼んだが、主人の巨旦将来(コタンショウライ)はみすぼらしい姿の神を見て断る。近くにひどく貧しい家があり、そこで頼むと巨旦の弟である主人の蘇民将来(ソミンショウライ)は快く迎え入れ、粟の筵に座らせ粟飯をふるまった。
数年後、ムトウの神様が八人の子を連れて北国へ帰る途中で蘇民将来の家に立ち寄り、「お前に子孫はいるか」と尋ねた。「娘が妻といっしょにいます」と答えると「茅の輪を作り腰に付けよ」と命じます。
夜が明けると娘一人以外は皆すべて殺し滅ぼされた。
ムトウの神は「われはスサノオなり。後の世に病気が流行した時、蘇民将来の子孫だと名乗り、腰に茅の輪を付ければ難を逃れるであろう」と宣言した。―――

この話にはいくつか矛盾点がありますが、そこは突っ込まないことにしましょう。
まず、8世紀の段階でムトウの神様=スサノオと理解されています。
スサノオが怒り狂うとすべて殺され滅ぼされるのですから、スサノオは強力な疫病神です。
ですから、スサノオに対しては崇め奉り、決しておろそかにしてはなりません。

スサノオは牛頭天王(ゴズテンノウ)という別名があり、全国各地に牛頭天王を祀る神社がありました。天王が天皇と同じ発音なので、「天王社」は明治になって強制的に改名させられました。何有荘の地元で言えば、地元の人が今でもテンノウサンと親しく呼んでいる神社は今では「八坂神社」です。

関西では「蘇民将来子孫」と書いたお札が多く配られています。
この物語の巨旦将来・蘇民将来は兄弟です。ところが氏名が名氏の順になっており、もともとは東洋の神話ではなく、遠い異国生まれの神話であることを暗示しています。
想像をたくましくすれば、ユダヤ・キリスト教の聖典にある“過越しの祭り”の話に似ています。ユダヤマークを付けていなかった家は全滅したという話にです。

茅の輪を設ける神社はご祭神が誰であれ、スサノオに関係ある神社である、神社だったと考えて良いでしょう。
中原の玉崎神社のご祭神にスサノオは入っていませんが、この神社は物部氏系だという伝承があります。物部氏は多数の分派がありますが、出雲系の物部氏もあり、ご承知のとおり、出雲はスサノオと関係が深い地です。
いすみ市とは夷隅郡に由来し、夷隅は伊甚・伊自牟に由来し、その故地が出雲地方にあることを考えると、玉崎神社は出雲系の神社だと推定して、まず間違いないと思います。


 
 
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