★大原漁港の人間魚雷“回天”基地跡(1)

特攻
   地下に掘られた格納庫はゴミ捨て場と化し、ツワブキの花が咲いていた

江戸時代、長崎出島に英国船が不法侵入し、大砲で脅しながら水薪、食料などを要求する事件が起きました。(1808年:フェートン号事件)。
警備担当の佐賀藩責任者は自決し、もし次があったなら「捨て足軽」を用意することにしました。
火薬を胴に巻き、欺いて乗船して自爆するのが「捨て足軽」の使命です。

人間の命を消耗品扱いする戦術は太平洋戦争末期に復活します。
ゼロ戦による特攻が有名ですが、外房では 鵜原に特攻モーターボート“震洋” が、いすみ市大原では人間魚雷“回天”が配置されました。

さすがに「捨て足軽」などという露骨な名前でなく、“軍神”とほめそやしましたが、命令する側は軍神になる気はないのですよね。命令するだけ。
「志願者は一歩前」と号令をかけ、強制ではなく自主的に特攻に参加する形式を整えました。

登山で一番大切なことは、登頂が無理ならば下山する勇気だと言われます。
戦争では勝利の見込みがない時、いつ降伏するかでしょう。
先の大戦では、ここでやめたらどうなる、戦死したものは犬死ではないかという威勢の良い言葉や、神国日本、神州不滅のスローガンに反対できるわけもなく ズルズルと戦さを続けて多くの命が奪われました。

先週紹介した大原の蛇塚には隣接して墓地があり、8月2日戦死とあると気の毒に思います。
この時点で終戦工作は密かに進んでおり、天皇の地位がどうなるかが不確かだったために戦闘は続いておりました。

ただまっすぐ進むだけの魚雷ならば人間が乗る必要はありません。
複雑な地形でも進路変更しながら敵艦に激突する一人乗り大型魚雷で、潜望鏡を使わず、もちろんレーダーなどありません。
手元のジャイロコンパスだけを頼りに、どのくらい前進したから左に30°進路を変え…などと目隠し状態でつっこむわけです。
片道燃料で、1.5tの爆弾を積んで。
進路がそれ、攻撃に失敗しても脱出装置はありません。文字通り生きた棺桶でした。

下の画像のように大型魚雷そのもので、その隙間に人間が一人入って多少の操縦ができるように改造されました。潜望鏡を使うと敵艦に発見されやすくなるので、発進直後しか使えません。
最初は潜水艦に抱きかかえられて発進しましたが、後に水上艦を母艦とするようになり、大原漁港にあった基地は後者のタイプです。
いざとなれば、基地から直接発進ができるようでした。

もはや太平洋上は制海権を失い、米軍の房総半島上陸にそなえる水際作戦です。
基地が完成したのは終戦間際の1945年7月。26日付け発令、28日着の要員は73名。

回天基地は大原漁港のはずれ、小浜の八幡岬に建設されました。
奇しくもこの八幡岬は、幕末の黒船到来に備えて 大多喜藩の海防砲台が築かれた場所です。
幕末の尊王攘夷の狂信的排外主義は、昭和になって狂信的な愛国主義として復活しました。

尊王攘夷運動から昭和の戦争までの戦死者を“神”として祀るのが靖国神社ですから、2013年の安倍首相の靖国参拝に対して米国が“失望した”と強く警告したのも当然です。

集団的自衛権の名の下に軍事行動を起こし、戦死者が出たらどうするのか。靖国神社に“神”として祀ることを予定した靖国参拝なのでしょう。

――梅雨空に「九条守れ」の女性デモ――埼玉県のある公民館の広報誌に掲載予定のこの投稿俳句は、突然掲載拒否となりました。
そういう時代になってしまった今、死ぬための訓練を重ねていた若者たちがいた戦争遺跡をたずねることは意味があることでしょう。

回天
     広島県呉市にある”回天”の実物。  画像元→●
                                            (来週11.21につづく)

 

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