★大原の蛇塚またの名を将軍塚 

蛇塚
    蛇塚堂墓地に隣接し、円墳みたいな蛇塚

JR大原駅の近く、国道の手前に円墳のようにこんもりした緑地があります。
それが蛇塚、別名、将軍塚で、たたりがあるので立ち入ってはならないという言い伝えが最近まで確実に残っておりました。
周辺は墓地になっており、教育委員会の看板はありませんが、伝説を知っていると何やら不気味な雰囲気がある緑地です。

簡単に言うと
仁徳天皇の頃、蝦夷(エミシ)が反逆したので鎮圧のために田道(タミチ)将軍を派遣したが、戦死してしまい、ここに埋葬した。後に蝦夷がこの墓をあばいたところ、大蛇が出てきてその毒気に当たって多くの蝦夷が死んだ――という伝説に基づきます。
それで(田道)将軍塚、あるいは蛇塚といいます。

『日本書紀』仁徳天皇五十五年の条に田道将軍が 「伊峙水門(イジノミナト)に死せぬ」と記載されています。
イジノミナトを イジミノミナト と解釈し、それは大原の港のことだと誰かが言い出したのでしょう。
いすみ市の古代名はイジミですから、苦しい解釈ですが、ありえます。

ところが田道将軍の蛇塚(将軍塚)伝説は、ほぼ同様の内容で内房の市原市にありますし、遠く石巻市にもあります。
大原にかぎらず、市原、石巻の伝説も、それぞれその地元の人には実にありそうな話として伝わっておりました。

ヤマトの中央政権の支配が及ばぬ地域は蝦夷とされ、たびたび軍事行動がおこされました。
上総の住民が蝦夷地域に植民に入る場合もあり、逆に蝦夷を奴隷として上総に連行してくる場合もありました。
そして上総では何度か蝦夷の大規模な反乱がありましたから、鎮圧のために将軍が派遣されたこともあったことでしょう。

田道将軍の場合、初めは優勢であったが後に蝦夷の大群に囲まれ、毒矢に当たって戦死。
死ぬ間際に「死して後は大蛇になって蝦夷を討つ」と遺言したそうです。
それで蛇塚なんですね。
ヘビ=神であった古代の信仰が垣間見えます。

なお、将軍の遺品として部下が腕輪を奥方様に届けたところ、奥方様はひどく悲しみ、腕輪を抱いて首をつって自殺したという悲しい話も伝わっています。

蝦夷とヤマトのいざこざがあった地域は上総に限りませんから、同様な地域では同様な伝説が生まれて伝わったものでしょう。
いすみ市民にとって、その伝説が歴史的真実かどうかは問題ではありません。
ずっと昔からそう伝えられ、誰もそこに立ち入らなかったことを大切にしたいと思います。




 
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