★御宿にある上総広常供養塔

伝上総広常供養塔
     御宿町上布施1474 真常寺境内にて

鎌倉で非業の死を遂げた、上総介平広常の供養塔と伝えられています。
一見すると二段重ねの古びたただの石で。
教育委員会が脇に立てた『真常寺石塔』と表示された標識がなければ不要物として捨てられそうな雰囲気です。苔むし、上部からは雑草が生えていますから。

真常寺はこの付近では大きなお寺で、子供の虫封じで有名な虚空蔵菩薩があります。
3月の縁日には県内各地や首都圏からも子供の健康を願う参拝人が多数訪れるそうです。
この石塔は本堂と虚空蔵堂の間に無造作に置かれていました。

おそらく建立時の供養塔上部は崩れたかどうにかしたために撤去され、下部の石二つだけが残されたものでしょう。
建立当時からここにあったのかも疑問で、由緒ある塔石だから捨てるに捨てきれず、ここに置いておいたのだと思われます。

昭和46年の千葉県の調査では、中が空洞で「格狭間コウザマ」模様が彫刻されており、鎌倉時代の様式だそうで、夷隅地方産の凝灰岩で出来ています。
しかし、この石塔が広常の供養塔であるという証拠はと言うと、戒名が彫られているわけでもなく、昔から広常供養塔と伝承されてきたということに尽きるようです。

真常寺のある御宿町上布施という住所は大原町に属する上布施と隣接しています。
昔は一つの村だったのに諸般の事情で御宿町と大原町に線引き区分されて今日に至るのでしょう。
江戸時代、房総は譜代大名や旗本の領地となり、石高調整のために一つの村に複数の領主が存在することもめずらしくありませんでした。
そんな都合で、二つの上布施地区が存在するのだと思います。

二つの上布施地区が鎌倉時代は一つの布施村だったとすると、布施村には二つの広常供養塔が存在することになります。
一つはこの真常寺にある供養塔。
もう一つは布施の供養塔
つまり広常の館址と推定される布施の殿台の南北に二つの供養塔があることになります。
そして東には大原町の金光寺にも広常供養塔があります。

外房の勝浦町、御宿町、大原町は鎌倉・室町時代には “伊南” と呼ばれていました。夷隅郡南部という意味です。
この地域に広常関連の遺跡や伝説が集中して存在していることは、伊南が広常の地盤であったことをうかがわせます。
伊南を地盤とする広常が、「周東、周西、伊南、伊北、庁南、庁北輩等」の約二万騎を率いて頼朝の陣にはせ参じた(『吾妻鏡』)ことは地元の誇りだったのでしょう。

ところが謀反の疑いで斬殺される--そんなはずがない。あのお殿様に限って…という思いが数々の供養塔や伝説を残すことになります。
それだけ地元民に慕われてきた武将と言うのもめずらしい気がします。


 
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