国宝『夕顔棚納涼図』の誕生

夏の夜の究極のエコ生活、夕涼み。前回紹介したこの絵の誕生について調べてみると…。
       
        
『夕顔棚納涼図』の作者
A「夕顔の棚の下なる夕涼み男はててら妻(め)は二布(ふたの)して」(醒睡笑)
B「夕顔のさける軒端の下涼み男はててれ妻(め)は二布(ふたの)して」(長嘯子集)

Aでは「ててら」となっているがBは「ててれ」。どちらも「襦袢・ふんどし」の意味である。「二布」とは腰巻きのことで、布を二枚つないで作ることからだそうだ。
Aは作者不詳。Bの作者は木下長嘯子(きのしたちょうしょうし)。おそらくBの歌が巷間に流布してAに変化したものであろう。

『夕顔棚納涼図』が木下長嘯子の歌を絵に描いたものであると最初に指摘したのは元東京芸大教授だった故吉沢忠氏だという。氏は「ててれ」が一般的にはふんどしを意味しているが、北陸・金沢方面では襦袢を意味するとして、絵の中の男が襦袢を着ている事からこの絵が北陸・金沢で描かれたとした。つまり、後世の加筆ではないという立場だ。

東京国立博物館も襦袢説をとっている。私個人としてはこの歌から想像できるのは「俺はふんどし、お前は腰巻きで夕涼み」である。しかし、わたしが興味深く思っているのは、そういうことよりも、歌の作者(木下長嘯子)と絵の作者(久隅守景)の人生が微妙に重なっていることだ。

木下長嘯子、本名は木下勝俊という武将であった。秀吉の正妻ねねの兄の嫡男で、親族を優遇した秀吉によって若狭小浜6万2000石の領主になった。後に8万石。
彼の没落は関ヶ原に先立つ伏見城攻防戦から始まる。家康方であった木下勝俊は伏見城にいたが敵前逃亡したといわれる。残った鳥居元忠の忠義と武勇に満ちた伏見城攻防戦はよく知られているが、木下勝俊が敵前逃亡した話は今まで聞いたことがなかった。歴史から完全に忘れ去られた人物である。
関ヶ原の後、ねねの斡旋で死罪は免れたが家康によって領土は没収され、以後、長嘯子と号し、京都東山などに隠棲し歌人として生きたという。

敵前逃亡の理由ははっきりしない。寄せ手の総大将が宇喜多秀家であるから、勝俊の実弟で宇喜多の養子になっている宇喜多秀家も寄せ手に加わっていた。実の兄弟同士で争うことを嫌ったのではないかと私は推測している。性格的に武闘派ではなかったのであろう。
その彼が「夕顔の…」の歌をつくり、しかも自ら注釈して「右天下至楽也」と記述している。殺すか・殺されるか、究極の成果主義、実力競争世界に生きてきた彼がたどり着いた「天下の至楽」とは「夕顔の…」の世界であった。

この絵の中央で寝ころんでいる男性は絵の作者・久隅守景自身であると言われている。彼もまた「天下の至楽」とは夕顔棚の下、人目を気にせず家族水入らずで夕涼みすることだ、と考えていたことは間違いあるまい。

彼は幕府御用絵師・狩野探幽門下の四天王の一人と言われ、将来を嘱望されていた。探幽の妹の娘を嫁に取り、二人の間の1男1女はともに画才があり、探幽に師事していた。探幽の身内として、人もうらやむ幸福な一家であった。
その守景が後に狩野派を離れ(破門とも言われる)、さすらいの絵師となるのは自慢の二人の子の不始末であった。まず娘が同門の男と駆け落ちしてしまう。息子は吉原遊びが過ぎて破門されてしまう。
息子は兄弟弟子が密告したと逆恨みをし、刃を持ち出して大暴れをしたために逮捕され佐渡に島送りとなった。権威をかさにかけた典型的な金持ちおぼっちゃまだったのであろう。

 狩野探幽と狩野派の名を汚したとして守景が詰め腹を切らされたのはまず間違いない。妻に離縁された守景は自分の家族が実はバラバラであったことを噛みしることになる。こうしてすべてを失った守景は人生観が変わる。真の幸福とは、金でも権力でも名誉でもなく、貧しく質素であっても家族が仲良く暮らす生活であると気づいたのだと私は思う。

 ここで歌の作者(木下長嘯子)と絵の作者(久隅守景)の人生観・世界観が重なり合う。二人とも権力の直近にいたことがあり、権力の豪華さとすさまじさをよく知っている。そして挫折した。虚飾の世界から離れ、地位も身分もなくなった時に真に大切なものが見えてきた。

 今日、スローな生活とか、ロハスな生活とかもてはやされているが、それもある種の権威とか優越感が密かに感じられる。そんな単語がない時代に「夕顔の…」の歌が生まれ、絵が生まれ、そのような暮らしをした人がいた。何にもなくたって良いじゃないか、家族がいれば…。歌の作者と絵の作者の深い人生観が国宝「夕顔棚納涼図」という傑作に結晶したのである。

 欠けるものが何もなく、増やすものも何もない。平和で穏やかな夏の夕暮れ。昼間の暑さも忘れるこの静けさ。月影に照らされた自然の景色、虫の声。今日のことも明日のことも思い煩うことをわすれてボンヤリとすごす時間。そばにいるのは愛する家族。ああ、これほど幸福なことがあろうか。--ここに描かれているのはそういう世界である。
見栄をはる必要もなく、人を出し抜く必要もなく、人目を気にして服装や姿勢や言葉遣いを整える必要もなく、人を非難する必要もなく、非難されることもない時間と空間が描かれている。これは「理想郷」を描いた作品であろう。

しかし、その作品の誕生には強烈な挫折体験があった。
私たちがこの作品に感動を覚えるのは、挫折体験に裏付けられた理想郷が提示されているからであり、私たちの現実の生活が今のままで良いのかと作者から問いかけられていることを感じるからであろう。

家内に「これが僕の理想の生活だ」と言って画像をみせたら、「わたしゃ、半裸の生活はヤダネ」と一蹴された。そういう問題じゃないんだけれどね。

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